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ジャパニーズガール・アゲイン〜竹刀を捨てた矢野顕子

 2 008年のCDマイベスト10をやろうと思ったのだが、肝心の第一位のCDの感想を日記に書いておらなんだ・・

 第一位は「矢野顕子/akiko」である。

 僕 は熱心な矢野ファンではない。だが、彼女の音楽が時折聴こえてくると、しばし耳をそばだてる。

 しかしこの間(というかこの10数年ほど)僕の耳に聴こえてくる矢野顕子の音楽は、「竹刀か木刀でお相手つかまつる!真剣勝負はもうちょっと後でいいわよね!」といったものにとどまっていた。確かにそれはそれなりに音楽していて楽しい「アッコちゃん」の一面だけど、それだけじゃないよなぁ・・・という思いが常にあった。

 特 に坂本龍一との離別、大村憲司との死別後の彼女は、これまで真剣勝負を楽しんできた対戦相手をいきなり神様に召し上げられ、やむなく竹刀や木刀で消化試合をこなしている、「力石徹」を失った後の「矢吹ジョー」的「悲劇のボクサー」にすら見えていた。このまま、彼女は二度と真剣を手にしないのだろうか?だとすればこんなにもったいない事もない。なぜなら今の日本で真剣をブンブン振り回して全く危なげない音楽家は彼女以外に思い当たらないからだ。

 だ が今回彼女は木刀を捨て去り、再び真剣を手にし、そのズッシリとした感触を心のそこから楽しんでいる超一級の音楽格闘家として見事に復活している。なんと喜ばしいことだろう。

 彼女に竹刀を捨てさせたのは、プロデューサー「T・ボーン・バーネット」の存在である。

 T BBについてはもう何度もコラムに書いてきた。
 http://www.net-sprout.com/iitaihoudai/099alison.html

 今年のグラミー賞の「Record of the year」と「Album of the year」にも彼のプロデュースによる「レイジング・サンド/アリソン・クラウス&ロバート・プラント」がノミネートされている。
 http://www.grammy.com:80/grammy_awards/51st_show/list.aspx

 プ ロデュースは英語で「PRODUCE」と綴るが、その意味は「PRO」(前に)「DUCE」(引き出す)ということである。「教育」は英語で「EDUCATE」だけど、これも「EX」(外へ)「DUCE」(導きだす)という意味である。だから西洋における「教育」とは「教え育む」のではなく、生徒の中に眠っているのもを「外に導きだす」ことであるが、いずれも語源的には同義。

 実 は矢野顕子ほどの天才とて、自らの中に何が隠れているのか、どんな得体の知れない怪物が潜んでいるのかはわからないのだ。いや、かすかな自覚はあるかも知れないが、自らの手でそれをえぐり出すほどのはっきりした知覚と勇気はなかなか持てないものである。だからこそ、その潜みしもの、隠れしもの、眠れしものを” 前に引き出してくれる "「プロデューサー」が必要とされるのだ。だが、決してプロデューサーが無理矢理引きずり出すのではない。当の本人が自らを見つめ、その内側に潜んでいるものを自らの手で引き出す勇気を与え続けられる人こそが「プロデューサー」の名にふさわしい。素晴らしい産婆さんがいてこそ、陣痛の苦しみが出産の喜びに変わるのと同じことだ(出産の経験はまだないけど、多分)。

 音 楽は荘重なピアノイントロで幕を開ける「WHEN I DIE」(私が死んだ時)・・・すでにこのタイトルがこのアルバムの主題を我々に告げている。このアルバムは、すでに失われたもの、会いたくてももう会えないない人、知りたいけど、どうしても知ることのできないものへ捧げられた歌群で埋め尽くされている。

 そ の白眉は4曲目「SONG FOR THE SUN」・・・冒頭から見事にテヌートした日本語がまるで韻律を伴って歌われる和歌のように心に響いてくる。英語であれば一音に一語を載せることができるが、一音に一音しか載せないのにこの説得力!美空ひばりさんとて、絶対ビブラートをかけなければ持たない歌世界を、微動だにしない絶品のテヌート唱法で歌いきるところは、まさしく天才歌手の面目躍如!この歌は英語ヴァージョン(2枚組+DVDのコンプリートボックスだとそれが聴ける。写真右)もあるけど、日本語がわからない英語圏の人々も、日本語ヴァージョンの方が心を打つのではなかろうか。

 こ の歌で彼女が「会いたいな」と願う相手は、現世では決してみることのできない、何かこの世を超越した特別の存在なのかも知れない。

 だが解釈は聴いたものの自由である。誰にでも、死別、生き別れを問わず、もはや会えない人がいるものだけど、この歌を聴くと僕は、そんな、これまでこの世で出会い、そして別れた人々を想いだして(言葉数が極端に少ない歌ゆえに想像が勝手に膨らみ)毎回、涙腺がゆるむ。

 こ のアルバムで、TBBが矢野顕子の中から導き出し、我々の目の前に届けてくれたもの、それは本人すら気づいていなかった矢野顕子の内に潜んでいた、彼女が失い、もう取り戻せないもの、いくら待っていても現れてくれないもの、知りたいと思っても知ることができないものへの思いのたけ・・・それらは彼女の内にだけに存在するものではなく、僕を含めたすべての人の内にあるもののように感じるのは僕だけだろうか。

 実 はこれだけ内省的な音楽世界は真剣でなければ描ききれるのものではない。そのお相手を務める真剣師たちは、ドラムのジェイ・ベルローズとギタ−のマーク・リーボウ、それに1曲だけだけど、ヴァイオリンのスチュアート・ダンカン!

 彼らは、坂本や大村と同じく生涯一度も竹刀を手にしたことがない、いやその存在すら知らないミュージシャンたちである。

 こ れらの素晴らしいメンバーがTBBの御前で、矢野顕子とともに素晴らしい真剣勝負を繰り広げている。スリリングだけど、デインジャラスさは皆無。

 と にかく、竹刀を捨てた矢野顕子のカムバックが嬉しいな。

 願わくばこの後もずーっと、真剣を手にし続けて欲しいものである。


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