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ジョットだけよぉ〜〜〜トスカーナはマイナリー?![]() |
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![]() ジョットランディア Giottolandia のHP http://www.giottoli.com/ この本、実は絵画の本ではない。鉱物、というか「石」の本である。なぜに「石」の本に画家「ジョット」の名が?そのわけは、マイミクさんの日記に書かれて余すところがないので、許しを得てここに掲載させて頂く。 |
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![]() 彼の本職は出版編集業であるが、グアテマラではマヤ伝統技術による手織りマフラーを制作するなど、独特の感性を持っている。彼にとって初めての自作品を扱った本、彼らが20年の間に採集した「石」の写真集である。 |
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![]() ある日トスカーナ地方の海岸でふと目にした石、それらにえも言えぬ輝きを見つけたという。以来20年間、ふたりで海岸や川岸で拾い集めてきた。 もとの石の表面は白っぽく干からびたようなので、磨かないことにはその輝きは出てこない。時間をかけて丁寧に磨く。そしてそれは水に漬けてこそその光沢や美しい色を映すことができるという。 |
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![]() エトルリア文化にはいまだ謎が多く残っているらしいが、妹いわく、この石をながめながら、今も当地に残るエトルリア人の古代の息吹を感じている・・・とのこと。」 |
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![]() ルネッサンスは、何もフィレンツェだけに興ったわけではない。アルプスの北方ネーデルランドやフランドル地方(今のベルギー、オランダ、ドイツ)にも興ったし、同じイタリアの水と光の都「ヴェネッツイア」にも興っている。 |
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![]() デューラーやホルバイン、それにファン・エイク、ティツィアーノ、ジョルジョーネ等はあくまで素晴らしい世紀の大画家たちであるが、大聖堂や鐘楼の設計図はひかなかったし、古代ローマ遺跡の発掘にも興味を示さなかった。それは一体なぜなんだろう??? |
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![]() 実はトスカーナという地名は謎に満ちた民族「エトルリア人」に由来している。このイタリア中北部一帯はその「エトルリア人」の本拠地・・・・その「エトルリア人」のことをローマ人たちは「エトルスキ」と呼び、その居住地を「エトルスカ」と呼んだ。やがて弱音である「エ」が無声音化し、「トルスカ」、「トルスカナ」となり最終的には「トスカナ」に変化した。つまり「トスカーナ」とは、「エトルリア」のことだったのだ! |
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![]() ということはトスカーナ人の血にはこのエトルリア人の遺伝子がビルトインされていると考えても間違いではなかろう。 |
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![]() だが、彼は顔料に徹底的に感応し、拘わり研究を続けた。だから結果としてレオナルドは科学者になった。ミケランジェロは画家と呼ばれるのを嫌った、”石” にこだわり抜いた彫刻家であり、サン・ピエトロ大聖堂のドゥオーモの設計も手がけた建築家であった。ブルネレスキは最初は彫金や彫刻をよくしたが、コンテストでギベルティと同点優勝であったことを潔しとせずさっさと建築家になった。ラファエロも建築家であり、かつ古代ローマ遺跡の遺物監督官もつとめた史上初の考古学者でもあった。最初のルネサンス人「ジョット」は画家としての名声は並びなかったが、フィレンツェ大聖堂の鐘楼を設計した建築家でもあった。 |
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![]() フィレンツェに興ったルネッサンス人が万能の芸術家であったのは、鉱物の中にすら楽々と生命を見いだすエトルリア人の「血」とトスカーナという「地」の両方の「ち」の利を受け継いでいたからではなかったか・・・マイミクさんの文章を読み「ジョットランディア」の美しい石の文様(写真上)を見ていたら急にそう思えてきたのだ。 |
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![]() だが人工的な運河に囲まれ、全く山のない(すなわち周りに鉱山がない)街「ヴェネツィア」生まれのティツィアーノにそれを求めるのは酷というものだろう。またそのことが彼のあの光と陰とあふれ、まばゆい色彩を駆使した素晴らしい絵画群の評価を下げるものでもない。彼にとっては水面に反射する光と陰と色彩こそがすべてであり、「構築?デザイン?そんなものはありませんが、それが何か?」だったのだ。 |
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![]() 妹さんの旦那さんがトスカーナ人なのだとしたら、これらの石に生命を感じとり、それらを取り出したのは少しも不思議なことではない。またその本のタイトルに「ジョット」の名前を冠したのも偶然、というより必然だったのでは?と思えたのである。 |
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![]() その地でエトルスキたちは、さながら地中のトリュフを探し出す豚さん同様に、否、匂いすら発しない土くれや石ころの中に価値ある鉱物を見いだす能力を涵養してきた。そしてその能力は数百年の歳月を経た後、フィレンツェ近郊に生まれた天才たちによりあらゆるジャンルの芸術文化として突如爆発的に花開いたのである。そしてその能力はルネッサンスから6百年以上を経過した21世紀の今を生きるフィレンツェ人にも確実に受け継がれているようである。 |
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