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アリソンで、じつはあまりない「美」ゴエ



 音 楽の中で「声」という要素は、僕にとっても非常に大きなウェイトをしめている。だがそんな僕は、かすれた声、しゃがれた声、情けない声、奇妙な声が大、大、大好きときている。そう・・・だから「声がきれい」ということが、僕にとってプラスに働くことはあまりない。
 だ が、ひとりだけ例外がいる。それが「アリソン・クラウス」嬢である。いつ聴いても、どこで聴いても、どのような境遇で聴いても、常にこの世のものとも思われぬ、まことに美しく、艶やかで優しい声も持ち主。しかもフィドルの名人にして、最近は、だいぶやせて、キュートな容姿で魅力を倍加させている。

 よく奇麗な声を「エンジェル・ヴォイス」というが、まさしく彼女の声に付された場合のみ、そのありふれた形容が陳腐さを免れる。
 通 常、いくら奇麗な声でも、高くなればなるほど、声はか弱く、か細くなるわけだが、彼女の場合は、上に行けば行くほど、声が、か強く、か太く(そんな日本語はないと思うけど)なっていくのである。だから高音になればなるほど、歌の説得力が増していく、という希代の美ゴエの持ち主、それがアリソン・クラウス!

 そんな彼女が今年発表したコンピレーションアルバムが「A Hundred Miles or More」(いいタイトルだなぁ)(写真中)である。
 こ れは単なる寄せ集めコンピではない。彼女はその人なつっこい性格からか、色々な人から様々な企画に誘われると、気軽にホイホイ出かけていき、出張先で最高のパーフォーマンスをして、人々を唖然とさせたのち、「それでは、これにてごめんなすって!」と言って帰ってくる(たぶん)という、メチャクチャ敷居の低い大シンガーなのだ。だからそういう宝石のような楽曲がこれまであちらに一曲、こちらに一曲、向こうに一曲と無頓着に散らばっていたのだが、そういう楽曲を今回一枚に集め、さらにこれまで未発表だった5曲を追加したという、ファンにとってはひたすら涙を流し、ただただヨダレを垂らすしかない待望久しいアルバムなのである。
 1 曲目「YOU’RE JUST A COUNTRY BOY」・・・ピアノのイントロに誘われたかのようにはじまる歌声は、のっけから、まるで天上界から届けられるかのように、甘美な情感に溢れている。主メロの一つで、タイトルにもなっている「YOU’RE JUST A COUNTRY BOY」のところは下降していくメロディが印象的だが、そのデセントなメロディに載せて、彼女にそう優しくウィスパーされると「ですだ!ですだ!おいらはただのカントリーボーイですだ!もう、どうとでもしておくんなまし!」と言いながら彼女の胸元になだれこんで行きたくような誘惑にかられてしまう。
 2 曲目「SIMPLE LOVE」は先日の日記にも書いたけど、今年のグラミーノミネート曲。こんなコンピアルバムにまで、目が行き届いているアメリカの音楽業界のパースペクティブにはビックリさせられる。

 3曲目「JACOB’S DREAM」・・「ヤコブの夢」とでも訳すのだろうか、きっと聖書のエピソード「ジェイコブス ラダー」に題材をとったレリジャスな内容を持つ歌だと思うが、残念ながら歌詞がついておらず、英語がだめなので、内容はわからない(シクシク)。スチュアート・ダンカンのギターとサム・ブッシュのマンドリンが静かに絡み合う美しいサウンドに耳を奪われるが、何と言っても、彼女が「オー!マミー アンド ダディ・・」と、一曲目とは逆に、上昇するメロディに乗りながら、心をこめて歌い上げるところに、なんとも演劇性に満ちた彼女の歌声の神髄が立ち現れている。上に行けば行くほど、歌ヂカラが「か強く」なることを実感できる、本曲一番の聴きどころである。いやはや、なんとロックな「ソプラノ ドラマティコ」であることよ!
 4 曲目「A WAY DOWN THE RIVER」・・・アルバムタイトルにもなっている「A HUNDRED MILES OR MORE」という詩を取り入れたこれまた静謐さに満ちた佳曲である。ロン・ブロック(ギター)、スチュアート・ダンカン(バリトン・ウクレレ)、ジェリー・ダグラス(ラップ・スティール)という勝手知ったる「ユニオン・ステーション」の仲間達のゆったり落ち着いたサポートが心地よく、タイトル通り、ユルユルと流れる川沿いの道を一人でトボトボ歩いていくかのような情景が浮かんでくる。
 ・ ・・と、ここまで、未発表曲が4曲も続く。でもなにゆえ未発表?思わずそう言いたくなるような名曲だらけである。まさか出来栄えに満足いかなかったわけではなかろう・・だってグラミー・ノミネート曲さえ含んでいるのである。彼女は曲を作らない。だが彼女の曲はまるで本人が作ったかのように聞える。よほどすぐれたライターチームを持っているのだろう。いやアリソンの声を聴いたら、どんな作曲家たちでも150%のチカラを発揮して、素晴らしい楽曲を作ってしまうのかも知れない。だから名曲のレコーディングがオーバーフローしてしまうのかな・・・こんな素晴らしい曲たちを一時であっても、お蔵にしておけるなんて、なんとも贅沢なレコーディングチームだよなぁ!
 5 曲目以降も、映画「コールドマウンテン」からエルヴィス・コステロとT?ボーン・バーネット共作の「スカーレット・タイド」と「スティング」がハーモニーボーカルをつける名曲「YOU WILL BE MY AIN TRUE LOVE」(アカデミーの授賞式でアリソン・クラウスとスティングがこの曲をデュエットにしたのを見たときは悶絶した)の2曲、同じく映画「オー!ブラザー!」から、あの川で洗礼を受ける名シーンで歌われる「DOWN TO THE RIVER TO PRAY」、それにチーフタンズのナッシュビル録音時での客演「MOLLY BAN」(パディ・モローニのホイッスルが印象的なトラディショナル!)、さらには、ジェイムズ・テイラーとのデュエット曲(ジェームズ君!なんで君は女性とコラボするといつも以上に良い声になるのかね?)、ストレートな男性ロックシンガー「ジョン・ウェイト」とのカッコいいコンテンポラリーなロックコラボ(ラストを飾る「LAY DOWN BESIDE ME」もジョンとのデュエット・・・なんとも心温まる名曲だと思うけど、なぜかこれも未発表!思わずアマゾンでジョンのCDを注文)、そしてルーヴィン・ブラザーズへのトリビュート曲などなど「これは、まさに音の宝石箱やぁ〜〜〜!」と彦磨呂状態になって叫んでしまう。
 そ して今回、その成熟一途の類いまれな美ゴエに、涸れきった奇妙でしゃがれて老熟した声が合わさった絶妙のアルバムが完成した。美ヴォイスの持ち主「アリソン・クラウス」とツェッペリンのボーカルで元美ヴォイス、現味ヴォイスの所有者「ロバート・プラント」とのコラボレーションアルバム「レイジング・サンド」(写真左)がそれである。方やブルーグラス界の歌姫、かたやロック界の巨星「レッド・ツェッペリン」のボーカル、という、一見すれば珍妙な組み合わせに見えるかもしれないが、もともとロックのルーツにはイギリスから移住してきた移民が持ち込んだ音楽がある。移民たちがアメリカ大陸をアパラチア山脈に沿って南下しながら様々な国の移民たち(アリソン・クラウスの家系は「K」RAUSSであることからおそらくドイツ系であろう。ついでにいえばリヴォン・ヘルムもドイツ系移民の末裔である)の音楽が吸収しあい融合しながら様々なジャンルの音楽が誕生した。ブルーグラスもそれらの一つである。だから先のアリソンのコンピアルバムの一曲が、彼女とチーフタンズとのナッシュビル録音における競演なのである。言うなればロバートのご先祖様たちの音楽が違う大陸で発展したのだから、この組み合わせは単なる異種格闘技的な組み合わせでも、奇を衒った企画でもない。それどころか、むしろ極めて妥当で穏当な組み合わせである。
 し かしながら、この企画を持ちかけたというアリソンもそれにのっかったロバートもよもやここまでの奇跡がおころうとは思ってはいなかったのではなかろうか。最初はホンのお遊び、思いつきだったのかも知れないが、これぞコラボ!といいたくなる、1+1が、5にも10にもなった、希代の逸品、稀覯品に仕上がった。

 これは、ひとえに、L.A.の大錬金術師「T・ボーン・バーネット」(以下「TBB」)の大魔術の賜物である。
 「 T・ボーン・バーネット」・・・・・・

 もちろん、コーエン兄弟の傑作映画「オー!ブラザー!」の音楽プロデューサーとして大ブレイクした人だが、アメリカン・ルーツ・ミュージック界では、ずいぶん前から、そのシーンには決して欠くことのできない、いや最重要プロデューサーとも言うべき存在である。

 また彼は、ボブ・ディランのツアーバンド「ローリング・サンダー・レヴュー」のギタリストだったことでも有名だが、みずからしっぶいソロアルバムを発表しながらも、プロデューサーとしてその大魔術師ぶりを遺憾なく発揮する。
 こ れまで彼がプロデュースをてがけたアーティストは以下の方々である。

 カウンティング・クロウズ
 ロス・ロボス
 エルヴィス・コステロ
 ウォールフラワーズ
 ロイ・オービソン
 ギリアン・ウェルチ
 ブルース・コバーン
 サム・フィリップス
 サム・シェパード
 A・J・クロウチ
 オラベル
 ジョン・メイレンキャンプ
 ジョー・ヘンリー 
 ナタリー・マーチャント
 ラルフ・スタンレー

 などなど・・・見事に僕のフェバリットアーティスト勢揃い!実に壮観この上ない鉄壁の布陣ですなぁ。
 上 記のとおり、彼のプロデュースグラフィーを眺めて見れば、「カウンティング・クロウズ」やジェイコブ・ディラン率いる「ウォールフラワーズ」などの若手オルタナバンドから「ロス・ロボス」、「エルヴィス・コステロ」、「ブルース・コバーン」などの中堅、「ナタリー・マーチャント」や奥様「サム・フィリップス」などの素晴らしい女性シンガーソングライター、さらにはラルフ・スタンレーなどのベテランまで実に幅広い。
 そ のプロデューススタイルはブライアン・イーノやダニエル・ラノアの系譜にも近く、今や一時のミッチェル・フルームを思わせる大活躍のジョー・ヘンリーに繋がる、ルーツミュージックに根ざしているものの決して粗野になることのない、メジャーシーンから送り出されるあまたの装飾過剰で、殺菌消毒された、おもしろくもなんともない音楽とは完全に一線を画す。それでいて、決して独りよがりにならない、なんともストレートだがシンプルで、そのアーティストの本質を極限まで引き出した実に力強い音楽を作り続けている。
 ま た前述の映画「オー!ブラザー!」はもとより「コールドマウンテン」「ウォーク・ドント・ラン」などサントラでも幾度となくフィルムスコアラーとしてグラミーの幾多の部門やアカデミーの主題歌部門なのにノミネートされている。とくに全米で700万枚を売り上げた「オー!ブラザー!」は監督のコーエン兄弟が「この映画は、CD“オー!ブラザー!”のPVです。はははは」とジョークを飛ばしたほどの傑作サントラである。
 絶 好調を続ける、この天下一の大アルケミスト、「T・BONE BURNETT」だが、実は最近の錬金術において必ず使用する魔法の調合薬がある。それは「ジェイ・ベレローズ」のドラムスと「マーク・リボ」のギターである。リボのとらえどころのない不思議なギターもさることながら、ジェイのドラムがまた摩訶不思議な音色を持つ。
 こ の人は、ドラムの皮の上にさらに別の動物の皮をかぶせて叩いたり、廃館となった映画館に転がっているふっるーい太鼓を修復して使ったり、これまでのドラマーとは一味も二味も違ったタイプの人である。写真を見る限り、まだお若いのに、スティックよりマレットを多用するその音色は西洋楽器としてのドラムというより、むしろ和太鼓のテイストに近い。どよよ〜〜ん、という皮鳴りが素晴らしい余韻を耳に残していく。このところのリッキー・リー・ジョーンズやエイミー・マンでも欠かせないミュージシャンでもある。
 思 えば今年この人のドラムをよく聴いた。最初は、マデリン・ペルーの「ハーフ・ザ・パーフェクト」と「ケアレス・ラブ」、続いてドイツ人のトランペッター「ティル・ブロンナー」の「OCEANA」、メアリー・ゴウシェの「ビトウィーン・デイ・アンド・ダーク」そしてジョー・ヘンリーの「シヴィリアンズ」などなど、ベースのデヴィッド・ピルチとコンビを組んだリズム隊は今思いつくだけででもこんなにある。どれもこれも素晴らしいアルバム達だった。
 ア ルバム「レイジング・サンド」はそのジェイの皮鳴り太鼓で幕をあける。そこへいきなりの美ゴエのアリソン嬢とロバートの味ゴエのデュエットである。楽器はアップライトベースのデニス・クロウチとTBBとマーク・リボのギター2本だけ。そんだけぇ!なのに、実に奥深い世界がそこでは展開される。間奏で聴かれる2種類のギターがまことに面白い。
 2 曲目は僕の大好きなロリー・ジョン・サリーの名曲「キリング・ザ・ブルース」のカバー。この曲や3曲目TBBのXワイフ「サム・フィリップス」の「シスター・ロゼッタ・ゴーズ・ビフォア・アス」や「ジーン・クラーク」の「ホリー・カム・ホーム」と「スルー・ザ・モーニング スルー・ザ・ナイト」の2曲などなど、ほとんどがカバーなのであるが、どれも、自らの不注意で女に逃げられ後悔したり、己の愚かさを嘆き悲しむブルースな内容の詩の世界がこころに深く沁みいってくる・・・ウゥ〜酒もってこ〜い!
 と くに8曲目、ジミー・ペイジとロバート・プラント合作曲でアリソンが歌うサビの部分「プリーズ リード ザ レター ザット アイ ロート(Please read the letter that I wrote)」(タイトルでもある)は酒と涙なしでこれを聞くことは不可能である・・・ウゥ〜、早く酒もってこ〜い!

 他にもR・ストーンズもカバーしていたアラン・トゥーサンのオチが秀逸な「フォーチュン・テラー」やトム・ウェイツの「トランプルド・ローズ」、エヴァリー・ブラザーズの「ゴーン・ゴーン・ゴーン」など、選曲も実に泣ける渋さである・・・・ウゥ〜、酒はまだかぁ?・・・って、自分で勝手にとりに行けば?「はーい!」
 こ の1週間ほど、車でこのCDを幾度聴いたかわからない。だが、ラストの曲「ユア・ロング・ジャーニー」はヤバイ!酒も入っていないのに(運転しているのだから当たり前だが)泣けてくるのだ。涙で視界がぼやけて前が見えない!

 これは男女の失恋のバラードではない。最愛のパートナーを亡くしていく間際の、残された男の嘆きと叫びの歌である。これはおそらく、200年以上も前のトラッドではないだろうか。まだ人々がたくさん生まれて、たくさん死んでいった時代、幸運にも生き延びた夫婦がいた。それでも最後は病魔に捕らえられ旅立つ妻を前にして、涙をながすことしかできない情けない男の孤独の歌である。
 O h,my darling
 My darling
 My heart breaks as you take your long journey

 僕は、アリソン・クラウスとロバート・プラントがおだやかに、でもおごそかに歌うこの曲を聴くと、自分が200年前のアパラチア山脈のどこかにひっそり暮らす、そう名作映画「ソングキャッチャー」に出てくるような小さくみすぼらしい家にたった今いるかのような錯覚に陥る。そこで病魔に冒された妻を一人で見取る年老いた貧しい農夫の”おれ”・・・このあと”おれ”は一体どうなるのであろうか。
 ” 誰も悪くないのに、悲劇は起こる”・・・人々は、その意味を知ろうとするが、答えは風の中。だから未だだれもその意味を知った人はいない。だがそれでも人々は必死でその答えを探そうともがく。それが生きるということか!
 「 ブルースコードで弾かれる音楽がブルースではない。“誰も悪くないのに悲劇が起こる”その答えのない問いかけをこころに抱く限り、生きとし生ける全ての人の心の中にブルースが棲まう。」

 そう僕に告げたのは、我が師「大村憲司」である。

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