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「オーケストラ!」でも原題は「コンチェルト!」でしょ?ネタバレ満載!

 ひ ゃぁ、おもしろかった!

 バイオリンが狂言まわしを演じる映画といえば、「レッド・バイオリン」や「無伴奏〜シャコンヌ」(以前日記に映画評を書いたことがある)けど、今作は、途中でゲラゲラ笑って、ラスト12分はグジュグジュ泣いた。

 以下ネタばれ必至!

 か つての天才指揮者アンドレイは、名門オーケストラ「ボリショイ管弦楽団」の花形指揮者だったが、ブレジネフのユダヤ人一掃計画に楯突いたため、その地位から同劇場の掃除人に貶められ、アル中になって早30年。ところがある日、掃除させられていた楽団のマネージャーの部屋に送られてきたファックスを偶然見てしまう。それはフランスの名門劇場「パリ・シャトレ座」からの公演依頼だった・・そこで彼はとんでもないことを思いつく・・・それは、彼同様に楽団を追われ、ちりぢりになってしまった仲間のユダヤ人演奏家(あるものはタクシー運転手、あるものはポルノ映画のアフレコ業、またあるものは八百屋のおやじに身をやつしている)達を集めて、ボリショイ楽団になりすまし、30年前ブレジネフ政権に中断されたチャイコフスキーのバイオリン協奏曲をパリで再演する、というのもの・・・だが、なぜかその時のソロバイオリニストだけはもういないらしい・・ではソリストはどうするのか?果たしてそんなバカげた計画がうまく行くのか?もちろん行く筈がない!その後の破天荒で「ありえねぇ」ストーリー展開に最後までハラハラドキドキさせられるが、最後の12分間の演奏シーンは、圧巻の大団円。

 知 っている俳優は、わずかに二人・・・シャトレ座の支配人を演じる俳優「フランソワ・ベルレアン」は、「トランスポーター」で「ハゲカッコイイ」ジェイソン・ステイサムに絶妙のボケでからむフランス市警役の人だが、この人は前述の「無伴奏〜シャコンヌ」でも、主人公が愛機ストディバリウスを壊されたとき、自殺した親友の愛機「グァルネリ」を届ける役も演じていた)。それとソロイストのマネージャー「ギレーヌ」を演じるのは、なんと「ミューミュー」!名作「五月のミル」以来の再会ではないか。他は初めて見る役者さんばかり。それもそのはず、ほとんどがロシア人かポーランド人かフランス人・・監督だってルーマニア生まれのユダヤ系フランス人なんだもん。

 だ けど、どの役者さんも、その素晴らしい持ち味を出し切ってているので楽しいことこの上ない。とくに超絶技巧のロマ人バイオリスト役の俳優や、ユダヤ人のトランペッター役の俳優さんなど、強烈な印象を残す。

 も ちろん主役の指揮者「アンドレイ」を演じる「アレクセイ・グシュコブ」、不幸な生い立ちを持つフランス人のバイオリニスト「アンヌ・マリー・ジャケ」役の「メラニー・ロラン」(美人ざんす!この人は「イングロリアス・バスターズ」に出演しているらしい・・もうすぐDVD 発売らしいから見よっと!)それに、ときに絶望し、弱気になる「アンドレイ」を慰め励まし続ける愛すべきチェロ奏者「サーシャ」を演じる「ドミトリー・ナザロフ」(もう一人の主役と言っていい!)、また指揮者である夫を信じきり、パリに行かなければ「タマをちょんぎる」と脅す女房役など、さらに悪夢の演奏中断を命じたゴリゴリの共産党員「ガブリーロフ」を演じる役者さんなどなど、だれもかれも皆めっぽう上手いのに、微塵の力みも感じさせない芸達者揃いである。

 と ころで僕はどこまでも悲劇性を感じさせるチャイコフスキーより、素朴でどこか明るいドボルザークの方が好きだ。

 だがその違いは、案外、メロディのヒントをボヘミヤに探したドボルザークと、スラブのメロディだけでなく抑圧され続けた東欧ユダヤ人にまでそれを求めたチャイコフスキーの違いかも知れない。両者に共通するのはともにロマの音楽も参考にしたことだろうか。

 実 は、抑圧され、差別され続けてきた東欧ユダヤ人やロマ人の悲劇の歴史もこの映画のベースになっているが、とにかく喜劇、というよりほとんどギャグみたいな演出が随所にちりばめられているので、思わずギャヒャヒャと笑ってしまう。だが、そんなハチャメチャなストーリーも、最後に出生の秘密に苦しむソリスト「ジャケ」が、その謎を自らの演奏で解きあかし、伴奏していく楽団員たちがその解明のプロセスを追認していくラストシーンは、つくづく素晴らしい。

 そ もそも30年ぶりに寄せ集められたユダヤ人演奏家たちは、なぜアンドレイがこのソロイストを選んだのかを知らない。ただでパリで飲み食いできて、セーヌ川の夜景が見れるという理由だけで参加した物見遊山ツアーだからコンチェルトの序奏部分ではまったくやる気がないし、30年ぶり、楽器は借り物、しかもリハーサルなしのぶっつけ本番なので、ピッチもリズムもまるで揃わないひどい演奏になってしまう。だが、このどこの誰だかわからない若い女性ヴァイオニストが最初の主部で弾くバイオリンの1音を聞いた瞬間、オケの全員が30年前の演奏会にタイムスリップしてしまう。そこから初めてオケとソロイスト「ジャケ」との間に魂の交信が始まっていく。とんでもないロシアのグダグダオーケストラとの共演にとまどうソリストは、自分の演奏にいきなりオケが生き生きと演奏を通じて語りかけてくることに驚くが、やがてすべてを理解していく。それは楽団員とて同じこと。この、じょじょに観客に背を向け楽団員の目を見て演奏し始めたうら若きソリストが誰であるのか、なぜアンドレイが彼女を選ぶ必要があったのかを理解しはじめる。両者(いやアンドレイを含めて三者)の理解が深まるともに演奏はますます白熱し、やがて音楽は怒濤のコーダに向かって一丸となって突進していく。その過程が、ラスト12分のラストシーンにおいて見事に音楽化され、映像化されていく。

 こ のヒロイン「ジャケ」が、演奏を通じて、たとえ自らの出自がどうであろうとも、仲間とハーモニーを奏でることで十分に生きていける確信を得ていくシーンこそが、この映画の白眉である。だからこの映画のタイトルはなぜか日本語こそ「オーケストラ!」だが、原題は「コンチェルト!」なのである。

 し かもこの演奏シーンでは彼女の驚くべき出生の秘密が明かされていくのだが、そのセリフの語り口と映像のカット割りが演奏のリズムと見事にシンクロしているので、音楽に感動しながら何の違和感もなく謎解きのストーリーを理解できる。そんな最重要シーンでさえもところどころにギャグが挿入されるので、思わず泣き笑い・・・

 最後、演奏が終わるとシャトレ座の観衆全員が「ブラボー!」と叫ぶが、映画を見ているこちらも思わず心の中で「ブラボー!」と叫んでしまう。

 演 奏を終え感極まって嗚咽する「ジャケ」!その彼女をそっと抱き寄せる「アンドレイ」。映画はその泣き顔のストップモーションで終わるが、アンドレイを見上げる涙に濡れた「ジャケ」の顔の美しいことといったら・・・



 ヒ ロイン「ジャケ」を演じる「メラニー・ロラン」は金髪の美女だが、この演奏(チャイコフスキーのバイオリン協奏曲(3楽章で構成されている)のいいとこ取りして12分に編曲した1楽章もの)で聞かれる演奏は、むしろ黒髪の女性による演奏がふさわしいように聴こえる。そういえば僕の大好きな弦楽器の演奏家はとくに女性、アジア、南米に縁がある。いや弦楽器に限らないなぁ、ピアノも指揮者もそうだ。特に弦楽器には、どこかヴァイオリンをよりしろにして、ムーサが降臨して恍惚として奏されるような演奏に強く惹かれてきた。男性より女性、西欧より東欧、さらに東に行ってアジア・・南にくだってスペイン、南米・・・端っこ出身の音楽家であればあるほど、僕の琴線は振動の度合いを強めていった。

 こ の協奏曲は様々な民族の歴史が撚り合わさって出来上がっている音楽だが、それらは東欧やユダヤやロマなど、つねに抑圧されて虐待されながらもしぶとく生きてきた民族のメロディが中心となっている。だからラストの演奏会シーンで明かされる、この音楽に命をかけた30年前のソリスト「レア」の髪の色は黒だったのだ。

 ク ラシックの超有名曲としてこの曲を聞き慣れている人にとってこの演奏は違和感があるかも知れないが、シュテファン・グラッペリやジャンゴ・ラインハルトがチャイコフスキーを演奏したところを想像すれば理解しやすいだろう。いうなればチィコフスキーの「聖」なる音楽が「俗」に降りてきたとでもいうべきか・・だって「俗曲」って英語にすれば「ポピュラー」ということだもん。だから当然にこの協奏曲は極めてポップなのだ。だからラストの演奏会シーンでは、思わず席から腰が浮いて踊りだしたくなるのを押さえるのに苦労した。

 ブラボー!!!!


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