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藤原のサリー

 つ い最近、ネットニュースで大好きな書家のニュースを見つけた。

 三蹟の一人「藤原佐理」(ふじわらのすけまさ、と読むが、ファンは親しみをこめてふじわらのさり〜と有職読みを好む)に関するものである。

 藤原佐理書状、9月公開へ ふくやま美術館で特別展

 平安中期に活躍した能書家藤原佐理(すけまさ)(944〜998年)が最晩年に記した貴重な書状「頭弁帖(とうのべんじょう)」が福山市に寄贈され、ふくやま美術館(同市西町)の特別展で9月に公開されることになった。同市によると、近年は一般公開の記録がなく珍しいという。

藤原佐理は、小野道風や藤原行成とともに「三蹟」として名高く、和様書道の完成に大きな功績があるといわれる。現存する真筆は頭弁帖を含む6点だけで、「詩懐紙(しかいし)」「離洛帖(りらくじょう)」の2点が国宝。

ふくやま書道美術館(同所)によると、頭弁帖は縦31・1センチ、横48・7センチ。天皇に伝えようとしたことが途中で握りつぶされ「不審々々」などと嘆いている文面がつづられている。あて先は不明で、55歳で亡くなった年である998年の3月9日に京都で書いたとみられる。

 個人が所有し、戦前に国が重要美術品に指定したが、現在は文化財の指定はない。2006年4月に所有者がふくやま書道美術館に保存・管理のため寄託。昨年末に寄贈することで合意したという。

昨年2月に調査した東京国立博物館の島谷弘幸学芸研究部長は「佐理は和様と呼ばれるわが国独自の書風を培った人物。現存の書が少なく、書道史を考える上で大変重要な1点だ」と指摘する。

 ふくやま美術館は藤原佐理をはじめ平安の書を紹介する展示を企画。同館は「貴重な文化財を市民の財産として所蔵できることは誇るべきこと。多くの市民に見てもらいたい」としている。

 実 はもともと、書を観るのが好きだったわけではなかったのだが、今では大好きである。

 きっかけは、学生時代のある夏休み、帰郷してヒマだったある日の午後。ふと母の書斎の机の上におかれていた「別冊太陽〜日本の書」(うろおぼえ)を何気なく開いたとたん、三筆と三蹟の書が僕の目にドッカンと飛び込んできたことだ。僕は字がうまくないが、母は書がうまいし、書道も好きである。

 そ れまでは、三筆が嵯峨天皇、空海、橘逸勢であること、三蹟が藤原行成、小野道風(花札で蛙と一緒に書かれてある歌人)それに藤原佐理であることは日本史の知識として覚えていたが、それぞれの書はまともにみたことがなかった。  それらは、カラー本でみた複製にもかかわらず、その迫力と個性には腰が抜けた。とりわけ、三筆では「橘逸勢」、三蹟では「藤原佐理」に心を奪われた。母は三蹟の「藤原行成」の書体が好きだと言っていたが、僕にはそれは「まとも過ぎて面白くなかった」。

 空 海の「風信帖」(フウシンジョウ 写真上)の力強さにも感動したが、それより「橘逸勢」の書「伊都内親王願文」(イトナイシンノウガンモン)は、雄大、雄渾でリズム感に満ち満ちているのにどこかに悲劇性があり、また藤原サリの書「離洛帖」(リラクジョウ 写真下)は自由奔放かつユーモラス、なのにこれまた律動性に溢れていて、いまにも踊りだしそうな字体であった。

 「 伊都内親王願文」(イトナイシンノウガンモン)は↓
     http://homepage2.nifty.com/tagi/koten006.htm

 あとで知ったのだが、「橘逸勢」は、「空海」「最澄」らとともに中国に渡った大秀才でありながら、のちに無実の罪で謀反の疑いをかけられ流罪となり、流刑地に向かう途中で亡くなっている。非業の死を遂げた彼は怨霊となり、陰謀を謀った人々に祟ったので、その御霊を鎮めるため、京都の下御霊神社(なにせ”大魔王”崇徳天皇についで祟り神の代表格とも言える早良親王や菅原道真公も一緒に祀られているオールニッポン怨霊大集合神社!)に祀られているのだそうである。だがなるほど、後に政争劇にまきこまれ悲運な生涯を送る運命にあるのを予感させるほど、まことにドラマチックな書体である。

 「 橘逸勢」の真筆は「三筆」と賞せられている割には非常に少ない(真筆とされるのは2筆のみだと思う)が、今回の藤原サリの書は意外に多く残されている。だから今回の発表につながったのだろう。

 こ れにはワケがある。サリは「その性、まことに泥の如し」と言われている。つまり、サリは大酒飲みで職務怠慢甚だしい、とことんだらしがない「泥」(これはドロではなく、デイという空想上の骨のないグニャグニャした動物のことである。泥酔の語源ですネ)のような人だったということなのだ。だがそれゆえ酒席での失敗が多く、「大事な会なのに酔っぱらってめちゃめちゃにしてゴメンなさい。どうかお許しください!」とかの謝罪の手紙や「借金の返済をもうしばらく待っていただけまいか?」といった懇請の手紙が多いのである。今回公開される手紙もその類いであるが、多くの人は、だらしないサリに呆れながらも、その真筆の手紙が入手できるので、喜んで許したり、とりなしたり、借金の返済を猶予したのだそうである。佳話である。

 以 来、すっかり書に魅せられ、機会があれば上野の美術館に足を運んでいる。そして今から約10年ほど前、今上天皇の「ご即位10年記念特別展 皇室の名宝‐美と伝統の精華」が開催されたが、そのとき、この両者の真筆を観る機会に恵まれた。このときは聖徳太子の「法華義疎」や伊藤若冲の「群鶏図」など、とにかく文字通りの皇室(日本)の宝物がワンサカてんこ盛りの大展覧会だったので、どれをみても目がくらくらしたが、歴代天皇の字が(嵯峨天皇はもとより日本史ではあまり出てこない天皇でさえ)圧倒的に素晴らしいことに驚くとともに、やはり橘逸勢とサリの実物の前ではピタット足がとまった。大感動である。う〜〜ん、やっぱり皇室はすごいなぁ、こんなお宝をいつでも見られるのである。

 書 が美術の域に達する文化を持っているのは、アジア、とくに中国と日本であろう。アラビア文字にはそういう文化(アラビア書道)があるという話をきいたことはあるが、アメリカの子供たちが、アルファベットの書体コンクールに熱を上げている、という話はきいたことがない。

 や はり漢字はそれ自体が意味を持っている表意文字であることと、その起源が占いであったこと、それゆえに漢字には呪術的要素があることが美術へ昇華する可能性を秘めているのだろう。

 さ きに歴代天皇の字が力強いことに驚いたと書いたが、実は天皇は歌を詠むことだけでなく、字を書く事ということをもっても、日本を被う邪気を払う「魂しずめ」の儀式を行っているのではなかろうか?


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