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アバターとマイケル・ジャクソン

 昨 年家人より「CD購入禁止令」が出た時を同じくして、CDプレイヤーが壊れた。約20年程前、当時出入りのオーディオ店の方が「すごく良い音のプレイヤーが出たので是非試聴してほしいので遊びがてら来てください」といわれホイホイ出かけてホイホイ購入させられた当時75万円もするWadia6である。(もちろんローンでの購入ですが、なにか?)。それほど画期的に音がよかったのだ。

 だ が、新譜を購入できない家庭環境下ではあまりCDを聴く気が起きずにそのままにしていた。だがこの年末と正月で約4、000枚のCDのソフトケース化を完了。あとは仕切りというかインデックスを仕上げれば終わり、晴れてまたCDを購入できる事とあいなった。

 そ こで秋葉原のダイナミックオーディオ5555館に持ちこみ修理に出向くことにした。ここは以前、リモコンが壊れたときにお世話になり親切にしてもらったところである。

 実 はこのビルはハイエンド物件のみを扱う専門館であり、各フロアはその階の責任者の趣味と独断でそろえられた究極のオーディオ機器で埋めつくされていて、しかもいつでも誰でも試聴が可能なのである。配偶者はアナログ盤を、僕はマーク・ノップラー(MK)の「Get Lucky」(実はこれ、CD購入禁止令中唯一隠れ買いした一枚である)を持っていって試聴させてもらったのだが・・・アナログプレイヤーは750万円、CDプレイヤーは1000万円!モノラルアンプは一個で450万円!×2で900万円!スピーカーはJBLの創立60周年記念モデルでこれまた1000万円超え!なんやかんやで総額7〜8000万円の夢のオーディオ再生装置である!!

 マ ークのCDは、一般家庭のプレイヤーで再生してもなべてその音の良さが際立つが、この装置で聴くと、たかだかCD一枚の中にこれほどの膨大な情報が美しくも整然と集積されていたのかとあらためて驚愕する。配偶者のアナログもアメリカでテストカッティングされたものをこれまた最高のアナログプレイヤー装置で聴いたのでその音の柔さと物理的には非可聴域を超え、体で感じ聴きしている部分に感動しっぱなしだったが、僕にはCDの音の情報量の多さを再発見できたことの方が感激だった。

 思 うに、「非可聴域をカットしたデジタルなど、いくら音がきれいで情報量が多かろうと、アナログの感動総量には敵わない。人は耳だけで音楽を聴くのではない、体全体を使って音を聞き分けているのだ」という定説に、技術者魂が発奮し、「絶対アナログに近づけてやる!いやアナログを追い抜いてみせる!」とがんばったんだろうな。いやはや匠の世界はおそろしい。

 も ともと音楽は、楽器や機材の発達、録音メディアの新発見、新発明、イノベーションによって、その面白さと多様性の進化の度合いを深めてきた。ソフトとハードの幸せな結婚によって次世代の子供とでも呼ぶべき新たなスタイルをまとった音楽が生まれ、その音楽が、あらたなスタイルで音楽を楽しむ次世代のリスナーを育成してきた。その繰り返しが音楽の発展の歴史であったのだ。今時、シンセサイザーをまがいものの音を出すキワモノ楽器として忌み嫌う者など皆無だが、富田勲氏がホルストの交響詩「惑星」をシンセサイザーで演奏し、レコードとして発売したところホルストの遺族から「うちのおじいちゃんはシンセサイザーで演奏させるために作曲したわけではない!」と発売中止を求められたのはそう昔のことではない。

 ソ フトとハードの新たな融合に勇敢に飛び込んでいくアーティストの一団から次ぎの世代の新たなスタイルの音楽が生まれる筈である。”YMO”の例を引くまでもない。だが多くのミュージシャンがその事実を忘れ、新たな時代のフェイズへの突入を躊躇し、コンサバティブになればやがて音楽は“絶滅”していくしかない。

 な んてことを考えた翌日、ジェームズ・キャメロン監督の「アバター」を観に、最高のデジタル3D環境の映画館のある川崎「IMAX」まで出かける。

 ひ ゃぁ〜〜〜スゴいなこりゃ。スピルバーグもルーカスもきっと「シマッタ!」とホゾを噛んでいるに違いない。かれらが中途半端に「インディ・ジョーンズ4」なんてまるで締まりのない映画を作っている間、キャメロンは「タイタニック」のあと12年間、脇目も振らず3D映画のためにそれまで稼いだお金と情熱と執念を注いでいたのである。これは音楽で言えば、モノラルからステレオへの変換に匹敵する刮目すべき技術革新である。もちろん単なる「技術」に目を奪われるのではない。その奥行き感、色彩の豊かさ、詩情性など、映画に必要な要素がすべてこの革新的技術に収斂されていくところが素晴らしいのである。キャメロンはこの映画に高度な3Dシステムが絶対必要だったからこのシステムを自ら創案したのであって、決してこのシステムがあったからこういう映画を作ったのではない。

 思 えば20年ほど前、ディズニーランドに「キャプテンEO」が画期的3D作品として我々に前に姿を顕わした。もちろんマイケル・ジャクソンのそれである。当時の僕はなぜ世界最高峰のパフォーマーである彼が、キワモノ扱いされていた3Dなんてものにあれほど固執したのかわからなかったが、きっと彼ほどのパフォーマーなればこそ、ライブでそれを観ることのできない世界中の人々に、いかにリアルな自分を同時に観てもらうにはどうしたらいいか悩んだ末のチャレンジだったのではないだろうか?

 皮 肉なことに、そのリアルなコンサートのメーキングフィルムを残して彼は逝ってしまった。あの映画の中でもスリラーの3Dリメイクを満足そうに見つめるアバターのようでアバターではない彼の姿が印象的だった。

 も う少しだけ生きてマイケルにこの映画を観てほしかったものだ。「THIS IS IT」の中でも、破滅にまっしぐらに突き進む地球環境に対する絶望とそこからの脱出への勇気をテーマにした映像が美しかったが、「アバター」のストーリーも、それと同じである。それは今時ありがちなストーリーとも言えようが、ストーリー自体よりその「ありがちでない」物語の伝えようにこそ価値がある。

 こ の偏執狂のカナダ人はその「語り口」を極めるため、この映画を世に問うたのである。これまでの彼の映画、「ターミネーター」、「アビス」、「タイタニック」がそうであったように。


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