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映画「300」と民主政〜「鉄の時代」を生きる |
シオドスが「神統記」に言う「金の時代」や「銀の時代」は、孔子が理想とする「三皇五帝の時代」と同じく「神話の時代」であり、それは「この世には存在しない」という意味のギリシャ語「ユートピア」のお話である。 |
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れわれは、はるか太古の時代から今日にいたるまで、まったく何も変わることなく、生まれながらにして「鉄の時代」を生きるよう運命づけられている。 理想の国家=ユートピアを語るプラトンも、「どのような国制にあっても、その変化は支配権をにぎっている部分自身の内から始まり、その階層自身の内部に争いが生じるときに変化が起こる」と言う。 |
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人政治を理想とするプラトンとて、現実には「哲人」なんてこの世に存在しないことをその流浪と失意の人生において身を以て知ることとなる。彼はユートピアではなく、現実界に存在するかもしれない「貴族政治」=名誉支配政を、ノモス(法)の前に、何より名誉と徳を重んじるスパルタの政治に見る。 |
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画「300」で描かれるレオニダスとその兵士「300」人はまさにその実現のためにペルシャと戦うのだが、国家の統治と平和維持には「力」=鞭こそが最も効率がよく効果的であると信じるペルシャの専制君主クセルクセスは、なぜ嬉々としてスパルタ軍が、ノモスを畏れ、自由に名の下に玉砕していくのかいくら考えても、全く意味がわからず苦しむ。 |
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ラトンは考える。 その「現実的」には理想の政体であるスパルタ的な名誉を重んじる貴族支配制も「支配権をにぎっているその階層自身の内部に争いが生じるときに変化が起」き、「寡頭制」に堕して行く。だが、なぜ「名誉支配制」は、「寡頭制」へと変化するのだろうのか? |
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「すなわち、できるだけ金持ちにならなければならない、という善として立てられたこの目標のあくなき追求こそが、その変化の因となる」 「寡頭制国家の支配者たちは、若者たちに放埒な人間が出てきても、これを取り締まらない。そういう者たちの財産を買い取ったり、それを担保に金を貸したりすることによってもっと富をふやそうとするからだ」 |
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「ところで一国において富を尊重しながら同時に節制の徳を国民のうちにじゅうぶん保つというのは不可能である。」 「そこで寡頭制国家の支配者たちは、放埒な浪費を許しておくことによって、しばしば凡庸ならざる生まれの人々を貧困に追い込む」 |
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「貧乏な人々のあるものは借財を背負い込み、ある者は市民権を奪われ、ある者はその両方の目にあった人々であって、彼らは彼らの財産を手に入れたものや、その他の国民にも憎しみを抱き、陰謀をたくらみ、革命に想いを寄せる。」 「支配者たちは若者を贅沢に甘やかして、身体的にも精神的にも苦労をいやがる人間にし、また快楽に対しても抵抗力のない柔弱な怠け者にしてしまう」 |
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「さて、支配者と被支配者が居合わせたとき、貧乏な人々は、日陰で育ち、贅肉をたくさんつけた金持ちたちがすっかり息切れし、なす術もなく困りはてていることに気づく。そして『あの連中はわれわれの思いのままになるぞ。何の力もないのだから』ということを口々に伝え広めていく。」 |
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「そういう病身と同じ状態にある国家もちょっとした外からの要因が加わるとそれがきっかけで内乱が始まる」 「そこで、思うに貧しい人々が闘いに勝って、相手側のある者を殺し、あるいは追放し、そして残りの人々を平等に国政を支配に参加させるようになった時、民主制が生まれる。そしてたいていの場合、その国における役職は籤で決められる」 |
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・・・・イタリックスのところだけを読めば、誰しもが「今の日本、いや現在の世界の政治について語った文章か、グローバリズムの到来とホリエモンの出現を予言した未発見の予言書か!すわ歴史的大発見か!」と思うだろうが、これは2500年前の古代ギリシャ時代に書かれ、その後ヨーロッパで最もたくさん読まれた文章なのである。なにせプラトン後の西洋哲学はすべて「プラトンの脚注にすぎない」とまで言われているのである。 |
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