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文明は真ん中に、文化は端っこに〜最終章コーダ

 僕 が高校の時の英語のサブテキストは「リーダーズ・ダイジェスト」で、その中にあったアーノルド・J・トインビーの文章は強く印象に残っている。その文章は「文化の痕跡は辺境に残る」(宿る・・だったかな?)というものである。

 確 かに彼の言説に従い、ユーラシア大陸を眺めて見ると、東の端の島国「日本」に「皇室」が、西の端の島国「イギリス」に「王室」が、といった具合に、東西の辺境に「前世紀の遺物的」制度が残っている。大陸の中心では、革命が起きやすく、ひとたび革命が起これば、前の文化は跡形もなく抹消されるので、制度を含めて何も残らない。 だが、すべてが消え去るのではなく、その一部は、中央から一目散に逃亡する一群が辿り着いた「辺境の地」にこっそり生き残る。

 中 国には「中原に鹿を逐う」(チュウゲンにシカをオウ)という諺があって、それも“中原”(国のこと)の真ん中は、常に“鹿”(王位=覇権のこと)を争う場であり、新たな覇者が、前の覇王の痕跡を消し去る場である、ゆえに中国の「中つ国」(中心)には文化が残りにくく、その痕跡は、敗者の残党やその末裔が追っ手を逃れきった辺境の地にひっそり咲くのだ、と。

 当 時僕は日本の南の果て、鹿児島に住んでいたが、そこでさえ、独特の昔ながらの伝統文化はまだ十分に生活に根付いていて、テレビや書籍で見聞する東京のそれと随分な乖離があるのは何故なんだろう?とボンヤリ考えていたところだったので、トインビーのこの言説は特に記憶に残っている。

 日 本の古層文化や歴史以前の文化的痕跡は、北の果てのアイヌ文化と南の果ての沖縄や離島文化に色濃く残っていることなども考え合わせると、トインビーの言っていることは、現在だって十分に的を射ているなぁ、と思う。沖縄とて沖縄本島、特に那覇ではすでに沖縄の伝統文化は薄まりつつ(うちなんちゅう化、東京化、もっと言えば欧米化!)あり、本島であれば、北の方まで行かなければそれを感じることは難しい。だからその起源もわからないほど古い沖縄文化を知ろうと思えば 思うほど石垣島や西表島などの離島、さらにそれらから離れた小さな島に渡り、その島の端っこにまで足をのばさなければ、それを知ることはできないのだ。まさに文化は端っこにしか残らないのである。

 音 楽も、まさにそう言えるだろう。クラシックもしかりである。

 僕の好きなクラシックの演奏家には一つの共通点がある。それは、アルゲリッチ、ゲルバー、ホルヘ・ボレット、アラウ、バレンボイムなど南米生まれのピアニストや、チョン・キョンファ、ヨー・ヨー.マなど、アジア生まれのヴァイオリニストやチェリスト(言うところの「糸もの弾き」ですね)が多いということだ。そういえばカルロス・クライバーも南米生まれだった。父のエーリッヒ・クライバーがナチスを逃れて南米に渡ったのである。意外に思われるかも知れないが、南米には、征服者であるヨーロッパ文化そのものがオペラハウスやコンサートホール建築を含めて多く残っている。ヨーロッパの中心部(大陸)は第二次世界大戦によって廃墟と化したが、南米には爆弾は落ちなかったのだ。結果として、本質的なものは皮肉にもその中心地から消え去り、辺境にこそ、そのスピリッツが、しかも昇華されて残っている、ということの有力な証左であると勝手にそう思っている。

 南 米で思い出したが、南米原産の代表的野菜である「トマト」は、水をやらないで育てた方が、かえってよく育つ(少ない水を逃さないようにトマト君が頑張るため、甘みが際立ち、大きくなる)のだそうである。少ない情報(トマトにとっての水)を、できるだけ多くの情報に変換するには豊かな想像力や構想力が必要とされる。今年のグラミー賞の「ベスト・ポップ・アルバム」部門にノミネートされ一躍ブレイクしたダフィー(Duffy)の生まれ故郷は、一番近くのレコードショップまでバスで2時間かかるウェールズ北方の小さな漁師町だったらしい。彼女はそこで父親のカセットテープやラジオだけから音楽情報を得ていた。こんだけ情報過多な時代に、それほど貧しい音楽情報しかなかったので、逆にあれほど豊かな情報が詰まった音楽が地理的突然変異体として出現したのではあるまいか。「突然変異」と「必然」は消して背理しない、というよりむしろ十分に合理的である。

 そ う考えると、 グリーグの血族に生まれたグレン・グールドがあれほど斬新なバッハを弾いたのもカナダ生まれであることと無関係ではない、というよりむしろ、辺境のカナダ・トロントに生まれ、育ったからこそ、あのような、バッハの本質(その本質はスィングする音楽!)に迫った奇跡的音楽が生まれたのだろう。

 が 、いわゆる洋楽を(再び)聴き始めたのは、2001年に映画「オー・ブラザー!」のサントラを聴いてからである。いや、正確に言えば、小学校6年までは、逆に洋楽しか聴いていなかったが、中学になってからは、歌謡曲とクラシックを中心に聴いていて、ポピュラーミュ−ジッックはそれほど熱心に追いかけていなかったのだ。

 と くに30才以降は、クラシック、とりわけバッハ、なかんづく古楽器によるバッハ演奏ばかり聴いていた。なぜなら古楽器演奏のバッハほどスウィングする音楽はなかったからだ。もちろんグールドは古楽器ではなく現代ピアノ弾きだが、これまたスウィングするバッハそのものだった。

だから今僕は、まるで逆引き広辞苑のように、2001年から1965年まで、さかのぼってポピュラーミュージックを再び聴き始めている。

 と ころで昨年、今年のグラミーノミネートでもわかる通り、このところ若手女性アーティスト部門では、昨年の「エイミー・ワインハウス」(Amy Winehouse)、「KTタンストール」(KT Tunstall)、今年の「ダフィー」(Duffy)、アデル(Adele)などイギリス諸島からのニューカマーの大活躍が目立つ。これは言ってみれば、商業音楽マーケットの開拓ばかりに血道をあげていたアメリカ資本のメジャーレコードカンパニーが忘れた音楽の本質をなんとか保っていた本家、元祖であるブリテン諸国による第二次イングリッシュインヴェージョンだと思う。さらに言えば、KT(スコットランド)、ダフィ(ウェールズ)など、マージービートがリバプール発であったように、インヴェーダー達は必ずしもロンドンというイギリスの中心出身のミュージシャンに限らない。というよりブリテンの中心地から離れたところから火の手はあがっている。

 ま た上記にあげたミュージシャン以外にも、エイミー・マクドナルド(Amy Macdonald・・・名前からわかる通りスコットランド出身である。僕は、彼女のライバルと言われる「リリー・アレン」(Lily Allen)や「ケイト・ナッシュ」(Kate Nash)よりエレクトロニカ成分が少ない分だけ「エイミー」の方が好き)や、すっかりアメリカ人だと思い込んだ、平均年令17才のロンドン生まれの天才三人兄弟バンド「キティ、デイジー&ルイス」( Kitty, Daisy & Lewis)など、コンテンポラリーミュージックの中心地アメリカから見れば、むしろ辺境のイギリスに魅力的な音楽家が多数立ち現れている。

 そ して、前の日記にも書いた通り、『ここに今年さらにアイルランド出身のニューカマー「イメルダ・メイ」(Imelda May)が颯爽とスィングするリズムに乗って「若きインベーダー」の一人として登場した』わけだ。 さらにその時の日記に書いた、もう一人「メリッサ・ラヴォー(Melissa Laveaux)」はタヒチ人を両親にカナダに生まれた若干23才の素晴らしい音楽家だった。

 そ の彼女は影響を受けたアーティストとして、ジョニ・ミッチェル、トレイシー・チャップマン、ファイスト、アレサ・フランクリン、エリカ・バドゥ、ビリー・ホリデイ、ニーナ・シモン、マリア・クレウーザなどを挙げているが、このうち、一昨年のipod nanoのCMで「1,2,3,4」が使われてブレイクした「ファイスト」(“Leslie Feist”の出身地はカナダの東の辺境「ノバ・スコシア」である。

 そ の名(英語にするとニュー・スコットランド)の通り、スコットランドからの移民が中心であるノバ・スコシア州は地峡でカナダ(北米大陸)と繋がっているが、その地峡以外の三方はすべて大西洋に囲まれた地理的には絶海の半島州である。そして今、この地にはスコットランドから音楽留学してくる学生が後を絶たないという。何故か?と言えば、実はすでに当のスコットランドには、その音楽や祭事を含む伝統文化が失われてしまったため、わざわざ、その「古き」文化を勉強するために「ニュー」スコットランドという辺境に来て勉強せざるを得ないからなのだ。”新しきを尋ねて古きを知る”!まことに皮肉なことであるが、ファイストのポップなのに懐かしさを覚える歌謡性はスコットランドの古層文化とテンポラリーなパンクとの奇跡的融合なのである。

 前 回の日記に書いた「レイ・ボネヴィル」はカナダ人だったし、おとといアマゾンから届いた「エリカ・ホィーラー」(Erica Wheeler)(オーダーした経緯は覚えていない)もよくよくライナーを読んだらカナダ人!・・・

 ア メリカもその中心から遠く離れた中南西部からだけは、今でも次から次に、ベテランも中堅も新人も素晴らしい音楽を届けてくれる。そのアメリカ中南西部は北米とミシシッピ川を通してつながっているが、終着地はシカゴではない。シカゴから五大湖を通ればカナダにたどり着く。カナダの東の端は、ノバ・スコシア・・・さらにそこから大西洋を通じてイギリス諸島のスコットランド、アイルランド、そしてウェールズへと、音楽は、辺境に発し辺境を経由して辺境に受け継がれ、そして辺境に還流していくのである。

 な ぜなら「音楽」は、マーケットの中心地から最短の経済的ルートを通って消費者に届けられる「商品」ではなく、「文化」だからなのだ。


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