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ジョット!ジョット!ジョット!〜幽体離脱〜

 ヴ ァチカンのシスティーナ礼拝堂、フィレンツェのウフィッツィ美術館ですっかりルネッサンスに酔い痴れ、その酔いがまったく醒めないままでいたある日、ぼぉーっと東京新聞の美術欄をみていたら西新宿の東郷青児美術館で「ジョットとその遺産展」をやっているという・・・あわてて最終の日曜日に見に行く・・・と言っても、もう2週間以上前のことだけど。

 僕 はルネッサンス様式の絵画はマザッチョ(写真中はその代表作”貢ぎの銭”)をもって嚆矢とする・・ずーっとそう思いこんでいた。建築はブルネレスキ、彫刻はドナテッロ、そして絵画はマザッチョによってルネッサンスが始まった・・・事実フィレンツェ(近郊)生まれのこの三人は親友であり互いに深く影響しあっていたし・・・何より、あのミケランジェロが、マザッチョの「ブランカッチ礼拝堂」(@フィレンツェ)のフレスコ画群を模写していたというのは有名な話なので、天才マザッチョに先立つ100年前の天才ジョットをうっかり軽視していたようだ。

 そ のせいで、フィレンツェのウフィッツィ美術館でもジョットの「荘厳の聖母」よりマザッチョ(と兄弟子マソリーノとの合作)の「聖アンナと聖母子」を長く見ていたし、同じくサンタ・マリア・ノベッラ教会でもジョットの「十字架上のキリスト」よりマザッチョの「三位一体」の方を永らく凝視していた。

 だ が、この展覧会で初めて見たジョットの「スクロヴェーニ礼拝堂」(@パドヴァ)のフレスコ画群(写真左、もちろん壁画を持ってくるわけにはいかないからすべてレプリカだけど)には本当に驚いた。だってもはや、そこにゴシックの要素が全く見当たらないのだ。僕はビザンチン様式はもちろん、ゴシックの影響を完全に解き放った真のルネッサンス絵画はマザッチョの絵画手法によってもたらされたと思っていたのだがどうやらそれは違ったらしい。ゴシックのくびきを最初にはずしたのはマザッチョではなくジョットだったのだ!

 し かしなぜ僕はそう誤解したのだろうか?  実はジョットには有名なフレスコ画がもう一つある。それはアッシジの「サン・フランチェスコ教会」に残されているフレスコ絵画群である。僕はそこにゴシックの残滓を必要以上に見てしまったのだ(もちろん画集で)。もちろんそれらの絵画群は圧倒的に素晴らしい。ゴシック絵画とて素晴らしいものがたくさんあるし僕の好きな画家や絵画も数多い・・・だがルネッサンス絵画様式はゴシックのそれとは完全に一線を画すものである。音楽で言えば後世オールディーズと呼ばれるハッピーミュージックではなく、あえてロックと呼ぶしかない「決してハッピーとは言えないさ!でも、だって!だから!歌うしかなかったんだもん!音楽」に相当する絵画版ロック芸術のこと・・・僕は完全にそう思っていた(もちろん勝手にですけど、何か?)

 ル ネッサンス絵画とは、それまで二次元的空間表現に宗教的アイコンの寓意ほどの意味しか与えなかった中世絵画を、古代ギリシャやローマのお得意手法と言える彫刻的要素を取り入れることにより大幅に改革し、人物の顔の表情や運動する身体に生命を与え、加えて遠近法を駆使し絵画に奥行きと深みを与えた「動く」(または見る人がその絵に運動のエネルギーやダイナミズムに感応し)「踊りだす」絵画のことであると思っていた。そしてアッシジの絵画を書いたジョットにはまだゴシックの影響が残っていると感じ、それを完全に拭いさったのがマザッチョ・・・ゆえにマザッチョこそが初めてのルネッサンス絵画人、と思い込んでいたのだ。

 だ がここに見て取れる色彩はミケランジェロも真っ「青」のジョット「ブルー」!しかもそこに描かれている、聖書に題材をとられた人物像の豊かな表情と、彫塑的な立体感と圧倒的な躍動感を前にし、少なくとも天才マザッチョのはるか以前に巨人ジョットあり!であったことを思いっきり思い知らされたのである。レプリカ(というよりほとんど写真です!)でこれだけ感動するのだから、実物を見たらさぞかし腰を抜かすであろう・・・ごめんねジョット。許せよジョット!

 ミ ケランンジェロがマザッチョを尊敬していたのは事実だが、システィーナ礼拝堂の天井に思い切り贅沢なブルーを使いながら聖書に題材をとった傑作絵画を書いたのは、実はジョットの「スクロヴェーニ礼拝堂」のフレスコ画の影響が大きかったのではないのか・・・次第にそう思えてきた。ミケランジェロが天井画を書いたのは33才の時からだそうだが彼はその20年数年後再びシスティーナ礼拝堂に戻り、今度は祭壇の上を飾る壁面に「最後の審判」を描いている。(今回初めて実物の絵画を仰ぎ見たわけだが、文字通り「文にも書けない素晴らしさ」であった。)

 こ れは教皇パウルス三世の強権によるものとされているが、僕は本当は芸術家ミケランジェロが、単にずーっと書き忘れていたテーマを描きに戻っただけだったんじゃないかと思うようになった。

 ジ ョットのスクロヴェーニ礼拝堂壁画群の白眉が何であるか、については色々異論はあるだろうが、入り口の上方の壁面を飾る絵画「最後の審判」であると僕は思う。これまで区画分けして書かれるのが通常だったこのテーマを一つの宇宙(東洋絵画で言えば曼荼羅である)として書いたのはこのジョットが初めてだったのだ。しかもそれは素晴らしい「青」がふんだんに使われた雄大雄渾な絵画である(写真右)(本当に実物を見て見たいものだ・・・思いが嵩じたので来年パドヴァに行くことに決めました。マイルも十分貯まってるし)

 僕 らはその後に描かれたいくつもの「最後の審判」を知っているからそう思わないかも知れないが、最初にこの絵を見た人の驚きようなら想像できる。  きっとミケランジェロもパドヴァに行って見たに違いない(なにせ当時はそこに行かねば見ることはできないのだから)そして驚嘆したに違いない。自らがそのお手本とした天才マザッチョの100年前にこんな絵を書く先達の巨人フィレンツェ画人がいたことを。

 尊 大、傲岸、偏屈と言われるミケランジェロだが、先行する天才たちの前では驚くほど謙虚である。ヴァチカンのサンピエトロ教会にドゥオーモを建設する時、教皇に「フィレンツェのドゥオーモを超えるものを!」と言われたミケランジェロは「ブルネレスキの妹分は作るよう努力しますが、姉貴分は作れません」ときっぱり言い切っている。真の天才は、最初の革新を行った天才を心から尊敬できる人のことである。イチローも松井も、バッシングの嵐の中、たった一人で大リーグへの重い扉を押し開いた変革の先行人「野茂英雄」を尊敬している筈だ。

 や っぱりミケランジェロは尊敬するジョットが描いたのに自分が書き忘れたテーマを書きにローマに戻ったのだけなのだ・・・それがあの「最後の審判」なんだ。だからその絵にはふんだんに青が使われ、現在それは「ミケランジェロブルー」と呼ばれているが、もとをただせば「ジョットブルー」だったのだ。

 当 時ラピスラズリを原料とするブルーは金に匹敵する程の高価な顔料であった。ミケランジェロは「戦う教皇ユリウス2世」にシスティーナ礼拝堂の絵画制作を強制された時にひとつだけ条件を出した。それは「使いたい時に使いだけのラピスラズリを使えること」・・・一般的には教皇に絵画制作を諦めさせるため、と説明されているが違うかのもしれない。むしろ、どうせ描くならその特徴あるブルーを使うことによってジョットの絵画に対する尊敬の刻印をシスティーナの天井や壁面そのものに永遠に残したかったのではなかろうか。

 そ れほど、このジョットの「スクロヴェーニ礼拝堂」フレスコ壁画群と「システィーナ礼拝堂」の天井画群と「最後の審判」は、非常に親和性が高い。


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