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イタリアで迷子になり、そして猪を轢く その1

 そ もそも今回イタリアに行く事になったのは、配偶者の甥っ子君の結婚式がそこで行われるからであった。

 場所は、トスカーナ州の真ん中あたり、フィレンツェから約60キロくらいのところにある「ガイオラ・イン・キャンティ」

 東 京からついこの間倒産したばかりのアリタリア航空機でローマまで13時間、ローマから1時間でフィレンツェ空港に到着。すでに夜の10時過ぎ。宿であるホテル・ブルネレスキは街のど真ん中に位置する。ホテルの近くをタクシーで通過中、青白く輝く巨大な建築物が突然目の前に出現したのでギョッと驚く。それは大好きな建築家ブルネレスキの設計による建物「サンタマリア・デル・フィオーレ大聖堂」の「ドゥオーモ」(写真左)そのものであった。想像よりはるかにヒュージ!口をアングリしながら「どぅおーも!」と心の中で挨拶するが、ベタすぎたのか無視される。

 「ドゥオーモ」を一瞬見ただけなのにかなり圧倒され心臓をバクバクさせつつ荷物をほどく。ホテル・ブルネレスキは、フィレンツェでも最古の建築物を改築したもの。もともとは女子刑務所だったそうな!なんだかうなされそうである。だが翌日は、12時にレンタカーを借りて、一路キャンティに向かわなければならない。明日は早起きして午前中ドゥオーモ周辺を散策することにしよう。だがなかなか寝付けないので、なぜか日本から持参した石垣島焼酎をラッパのみする。

 翌 朝、朝8時半にはドゥオーモ広場に到着。なにせホテルから2分である。ウーム、メディチ家のすごさを目の当たりにして心がわらわらしてくる。だがドゥオーモはまだ開いていないので、憧れの”ジョットの鐘楼”(写真中)に昇ることにするが、昇り始めてすぐ後悔する。つらぁ〜〜い!400段以上の階段をただただぐるぐる回ってやって頂上にたどり着く。う〜〜〜天国までの道はひたすら険しく堂々巡りのつらい旅なのね。だがそこから見渡すフィレンツィエの街並みはほとんど中世そのものであった。こりゃ“天国じゃ”とまさに「R・O・M・A」(知らないひとはスルーしてください)の名曲のタイトルをつぶやく。だが帰りは足をつらせながら膝をガクぶるさせつつひたすらぐるぐるおりまくる。こりゃ“地獄じゃ”と嘆く。

 一 息ついてドゥオーモの方に回り込むと、右手にどなたかの大理石の座像がある。お〜ブルネレスキ!

 同じくドゥオーモ広場にあるサン・ジョバンニ洗礼堂の天国の門のデザインコンテストでギベルティと同点優勝だった彼。コンテストの主催者ローマカトリック教会は二人での共同作業を勧めるが、ブル君はそれを断り、以後はひたすら建築家を目指した誇り高い孤高のルネッサンス人である。

 と ころでミケランジェロはレオナルドと仲が悪かった。

 ミケランジェロは失敗しても書き直せる画家より、ひと鑿の間違いも許されない彫刻家を一段高いところにおいていたからだ。同格に扱われるのに我慢できない彼は、求められたときは必ず「彫刻家ミケランジェロ」と署名した。だがそのミケランジェロは、先行するルネッサンス人として、たった一度のコンテストの同点優勝を潔しとせず、彫刻家を捨て、建築家を目指したブルネレスキを尊敬していた。彼は画家よりも彫刻家、彫刻家より建築家を高く評価していたのである。

 だ が、そのブルネレスキ像は、なんとなく不安げな表情をしてドゥオーモを見上げている(写真右)。彼が心血を注いで設計したドゥーモの完成を見ずして亡くなったブルネレスキははたしてそれが本当に完成するのか、心配だったのだろう。

    次回に続く。


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