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「何処いく?」〜「R・O・M・A」 クォ・ヴァディス? 第1回

 6 月23日、地元西荻窪のライブハウス「テラ」に、「ネット・スプラウト」を一緒に運営している村松邦男と安部王子のライブバンド「R・O・M・A」(ローマ)の”復活”ライブを見に行く。

 なぜ「復活ライブ」なのかというと、実はベース&ボーカル「安部王子」が半年にわたるガンとの戦いから復活したからなのである。

 安 部さんが下咽頭癌であり、しかも進行段階がレベル4(レベル5ではもう手遅れ、4であればかすかに生存の可能性がある)であることがわかったのは今年の正月である。

 去年から具合が悪そうなので、イヤな予感はあった。だが、実際本人からそう告げられるとやはり相当の衝撃を受ける。

 「・・・で手術は?」
 「・・・残念ながら声帯はとることになりますが、ベースは弾けそうです・・・」

 ことここに至っては躊躇はできない・・・想像を絶する葛藤があったであろうが、安部さんがそう決心したのであれば、ぼくも村松さんも、それ以上何も言うこともない。

 全 摘手術が1週間後にせまった日、病院側から手術の詳しい説明があるということだったので、村松さんと一緒に話を聞きにいった。

 だが、そこで信じられない説明があった。

  「声帯はとります。」(わかってるってば!)
「それと副神経をとります。副神経は肩や腕をあげる神経です。左右二本ありますが、とったほうの腕はあげることができなくなります。」
(へっ!じゃぁベースが持てないじゃん!)
(ピックを持つ方が下がったままでも、左手が上がればなんとかベースは弾けるか?)
(しかたないのか!)

 衝撃発言はそのつぎに来た。

 「 場合によっては二本ともとることがあります」

 (へっ!!!!どっちも?ということは両腕下がったまま??)

 「それでベース弾けるんでしょうか?先生!」

 「その場合は、ベースは弾けなくなると思います」

 とつぜん安部が叫んだ。

 「・・・だったら、手術を受ける意味がありません。声はあきらめても手術を受けることにしたのは、ベースが弾けるから・・・そんだけの理由なんです。弾けなくなった僕に、生きてる意味はないんです。」。

 ひ とまず、病院の食堂で話すことになった。

 だがだれも口を開かない。

 「・・・だったらさぁ、もう手術やめて、死ぬまで歌ってベース弾けば?」(これは僕の発言。だって世の中にはこれしかできない、という人が確かににいるし、安部さんはそういう人なんだもん)

 「それでいいです」(これは安部さん)

 冷 静さを取り戻した村松さんが「ほかの可能性はゼロなんだろうか?」という。ぼくらのまわりにはこのことを客観的に判断できる専門家がいない・・・いや、一人いた。それは僕の義理の弟(妹の旦那で、弟といっても年は僕より一つ上、地元鹿児島で開業している医者であり、専門はレトロウィルスの風土病(エイズにも似ている血液ガン)根っこはホットだが、クールさを併せ持った名医なの)である。

 早 速、携帯で事態を説明し「どうすればいい?」と聞く。

 「声はかすれている?」
 「いや、かすれてはいないよ」
 「・・かすれていないのにレベル4なの?・・ふ〜ん、医者は全摘したがるからなぁ・・・ここはセカンドオピニオン、いやサードオピニオンまで意見を聞く場面だろうね。納得できなければ手術しても後悔が残って良い結果にはならないから。しかもその病院の系統じゃない、別の系列の病院を探して意見を求めるしかない。」

 ・・・だが残念ながら彼は鹿児島在住なので、東京の「象牙の塔」事情には詳しくない。

 と りあえず、電話の内容をみんなに話す。だが誰も別の系統のセカンドオピニオンに心当たりがない。しかも手術は1週間後である。結論は早急に下さなければならない。全員途方にくれつつ(安部さんは完全放心状態)トボトボ帰路につく。

     ・・・以下第2回に続く


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