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「曲」を「作る」とは?![]() ![]() ![]() |
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![]() 「これ、いい曲だね」「この曲、あんまり好きじゃないかも」「もっと良い曲ないの?」「この曲サイコー!」 などなど、 |
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![]() よくホームドラマなどで、お父さん役の人が「俺は、曲がったことが大嫌いなんだぁ!」と叫ぶシーンがある。このとき、ぼくらは「あー、このお父さんは、ちょっと不器用かも知れないけど、心根は真っすぐで良い人なんだな」と認識することになっている。なぜなら、このお父さんが大嫌いなものが「曲がった」ことだからである。ぼくらのうちには暗黙裡に「曲がったこと=悪いこと。悪いことが嫌いな人=良い人」という図式が刷りこまれている。 |
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![]() 実はこの「曲」という漢字は、もともとは、「一本の木を曲げて箱にする」カタチを表している。 |
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![]() だが、その木を曲げて作られた箱に、僕らは様々のものを入れることができる。かくして人類は大切なものを保存する方法=”箱”を入手した。 つまり、「曲」を「作る」、とは、ストレートなものをストレートなままに差し出すのではなく、曲げることにより、ストレートであること「以上の良きものに加工して差し出す」ことを意味している。 |
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![]() 「何も、音楽家だけに、格別ドラマチックなことがおきるわけではない。 普通に暮らしている人にもアンビリーバボーなことは普段におきる。身内の病気だったり、恋人の裏切りだったり、親友の自殺だったり・・イラクでは、ふつうに暮らしている人の民家の屋根を突き破って爆弾が落ちてくる・・・生きていれば、“事実は小説より奇なり” みたいなことはそこら中にある。 たまたま、音楽ができる人におこったその音楽家固有の出来事・・それは、本人にとっては、死ぬほどつらい出来事だったり、ドロだらけのおにぎりを口に押し込められるような、あるいは泥水をむりやり飲まされるような体験でも・・それを「死ぬほどつらい」とか「どろのおにぎりだ」とか「泥水だ」とストレートに言ってしまえば、その人だけの極めて限定された個人的体験として完結するしかないが、その音楽家が一旦飲み込んだ苦き「個人的」体験が、そのからだとこころを通して音楽を媒介にして表現された作品は、濾過され純化され浄化されている。だから、本人にとっては泥水であったものが、その音楽家の作品を聴く人にとっては、文字通り、のどの渇きを癒す、浄水へと昇華する。濾過、浄化、純化、昇華・・これを音楽の「4か」という。(聞いたことない?そうでしょう、そうでしょう、だって今日初めて僕が言ったんだから・・) |
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![]() 癒す・・英語でいうと「heal」=ヒール・・・これは動詞だが、この「heal」に名詞化する接尾辞「th」をつければ「health」=ヘルスとなる。そう!健康とは、癒された状態をいうのだ。 ヒーリングという言葉もここから出てきている。」 |
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![]() だがそれが音楽家におこったとき、かれらはそのストレートな痛みや哀しみをわざわざ折り曲げ、美しい意匠を施したのち、それを「曲」として、われわれの目の前にそっと差し出す。 僕たちは、その美しい曲面に囲まれた「箱」に好きなだけ、好きなように、おもいおもいの「感情」や「想い出」を収めることができる。そして、おりにふれてはその箱をあけ、その「思い」を好きなだけ、好きなように取り出すことができる。 そのとき、僕らはその箱が、実は「悲しみ」や「痛み」や「苦しみ」を素材としてできていたことに思いを馳せることもなく。 |
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![]() ぼくらはそのことに感謝しよう。そして叫ぼう! 「おらぁ、曲がったことが大好きだぁ!」 |
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