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ひとはいつ生まれて、いつ死ぬんでしょ?![]() |
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![]() 多くの人は「誕生日に決まってるでしょ!」と言うと思うけど、実は赤ちゃんは、お母さんのお腹にいるときから既にこの世に存在しているわけで、ほぼ10ヶ月間お母さんと行動を共にしている。お母さんが、スーパーにでかけてヨーグルトを買う時も、病院に行って「お産の心得」を聴いている時も常に「同行」しているわけだから母親の体外に出る前からこの世に存在していると言えなくもない。カンガルーの親子を想起すれば理解しやすい。 |
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![]() 受精とは、卵子と精子が結合することだからそう言えそうな気もしてくる。だが、そもそもその卵子と精子は「いつ、この世に生を受けた」のだろう?卵子や精子を分子レベルで解析すれば、その組成成分を生成する「なにかしら」が体内にあったから、それらが形成されることがわかる。いきなり突然、手品師がシルクハットから鳩をとりだすようにお母さんやお父さんの体内に出現するわけではない。そこでは、「タネ」が、あらかじめシカケられて「いた」のである。 |
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![]() その母体や父体(そんな日本語はないと思うけど)がこの世に誕生したときからその「タネやシカケ」は潜在的に待機していたのだろうか? そうであるとすると、やはり「では、その母体または父体はいつ誕生したと言えるのか?」という設問に行き当たってしまうので、結局は堂々巡りになってしまう。 |
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![]() 仮にそうであるとしても、その地球を誕生させた物質が宇宙に存在していたからこそ地球が生まれたのだから、その物質がいつ誕生したのか、という疑問はやはり残る。それは宇宙が誕生した瞬間からそこに潜在的に存在していた、ということ? |
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![]() 我々は、無限の過去から存在していて死んだあとも無限の未来に存在し続けるのだろうか・・・ 分子レベル、物質レベルではそう言えるかも知れないなぁ。 |
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![]() 僕は亡くなった父と祖父母を脳に記憶していて、その記憶をいつでもありありと取り出すことができるが、曾祖父母の記憶はない。田舎に行くと居間の鴨居にご先祖様の白黒写真が飾ってあったが、お顔は思い出せない。彼らが存在していたから「今の僕」が存在しているにも拘わらず、関心がわかなかった。ましてやそれ以上過去の、写真も何も残っていないご先祖様など知るよしもない。だが、たった三代遡っても、実はそこに14人、4代遡れば実に30人ものご先祖様が存在しているが、僕の中で生きているのはわずかに先の3人だけである。残りのご先祖様は、申し訳ないがすでに僕の中で死んでいる。なぜなら彼らは僕の脳内に存在しない、まさに「無」の存在だからである。 |
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![]() 甥っ子たちも、彼らの思い出をいつでも取り出せる。だから彼らは彼らの脳内で生きている。 |
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![]() 僕は、死を考えるのは、人間の脳だから、脳が死ねば、無になると考えている。だが無になるまでは、永遠に生きている。父も祖父母も。 |
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![]() 死後の霊魂の存在のことを言っているわけではない。 |
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