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ボイン占い

 「 ボインはぁ〜赤ちゃんが吸うためにあるんやでぇ〜〜。お父ちゃんのもんとちゃうんやでぇ〜〜」と月亭可朝が歌ったのは1969年のことである。

 そのボインでないんだけど。

 先 日、お友達の「ヨシエ」君に女の子が生まれ、そのお祝いの会があった(といってもたった5人の小さな集まりだけど)。

 そこで、お子さんの名前が「ちひろ」であることを知る。
「ヨシエ」君曰く「男の子みたいかなぁ」・・・・

 女 性の名前には、最後の母音が「a」で終わるものが多い。芸能人でも、上戸綾、松浦亜弥、榮倉奈々、優香、綾瀬はるか、藤原紀香、香里奈など数え挙げればきりがない。次に多いのが(i)・・・伊東三咲、長澤まさみ、小西真奈美、相武紗季、小雪、堀北真希、新垣結衣、宮崎あおい、宮里藍、それらに続くのが「u」だろうか・・・次が仲間由紀恵「e」で、「o」で終わる名前は菅野美穂か矢部美穂くらいで案外少ない。もちろん、いまでも名前の最後に「子」(ko)がつく女性名称は多いけど、それは、明治時代になって、それまで、貴族の婦女子にのみ使われていた「子」をつけるのが流行った名残りである。だから綾に子をつけて、綾子、とか由佳に「子」をつけて由佳子、とか「子」を取ると、やはり「a」や「i」や「u」で終わっているのが多い。

 海 外でも、女(onnna)の名前に「a」で終わる名称が多く、男( otoko)は「o」で終わる名前が多い。マリアとマリオ、ジュリアスとジュリア、アントニオとアントニア、ロバートとロバータ、カールとカーラ、フランチェスコとフランチェスカ、これまた枚挙にいとまが無い。

 これは偶然だろうか?

 あ や、まや、さや、チャラ、UA、アンナ、マリア、ジュリア、フランチェスカ、イライザ、スザンナ・・・

 思うに、母音の「a」で終わる名前を発音すると、なんだか優しい感情や母性的なイメージがわくのではないだろうか。聖母はやはり「マリア」でないとイメージがわかない。「マリオ」だと、とたんに髭をたくわえて、石や橋をジャンプして渡るアクティブなイメージになってしまう。

 高 校の頃、川添登という建築家が、日本の伝統文化について書いた本を読んだことがある。そこでは「血」「地」「気」「木」「息」「死」「父」「乳」「海」「命」など、終わりに母音の「i」を持つ「名詞」には、「気」「ki」という自然界を構成する元素的要素や「精=スピリッツ」を現わすものが多い、と書いてあった。また、花の名前はそうでもないが、「木」の名前には、スギ、ヒノキ、マサキ、柿、桐、クリ、クヌギ、ケヤキ、椿、栃、ナシ、椰子、柳、モミジなどなど、ここでも、「木」(i)は「気」(i)なり!みたいな名前が確かに多いのである。また風の名前も「東風」(こち)とか「疾風」(はやち)のように「i」で終わるものが多いのだとか。

 あき、さき、まき、ゆき、ゆい、かおり、まさみ、あゆみ、くみ・・・

 斉 藤由貴(i)が主演(のちに南野陽子(o)、浅香唯(i))した「スケバン刑事」の名前は「麻宮さき(i)」。いかにも、きっぱり「さき」っと(シャキッと?)悪を斬るっ!てカンジ。これが「麻宮さや(a)」では、彼女はたちまちスケバンの座を滑り落ちたであろう。

 有名な切り口上・・・「なんの因果か、マッポの手先」・・・でも、ちゃんと「さき」と「てさき」と「i」が二つ重なっている。

 母音の「i」で終わる名前は、なにか、キッパリ感、サッパリ感、シャッキリ感を感じるのは僕だけか?

 そ れにくらべると、「o」で終わる名前は、なんだか男っぽいイメージがわいてくる。自ら率先してやる、とか、みんなを引っ張っていくとか、前向きに考えるとか、ひたすら前に突き進むイメージ・・・

 浅田舞衣より浅田真央の方が、また宮里藍より上田桃子の方が、小林麻耶より小林麻央のほうが、チャレンジャブルなのかも知れない。

 U ・・・これは、aとoの中間にあるように、母性と父性、女性性と男性性を兼ね備えているように思う。中性的でもある。

 柴崎コウ、蒼井優、

 それで、「ヨシエ」君には、「その子は、今後、何万回も「ちひろ」と呼ばれることになる。名前の最後にある母音はその子の後天的な性格を形作るから、きっと、男性的なリーダーシップに溢れる、男勝りな子供になるであろう!」と予言しておいた。おれは細木数子か!

 そ したら、「ヨシエ」君が、私は「え(e)」で終わるんだけど、これはどういう意味があるんでしょう?ときかれた。

 とっさに、え〔e〕音は、その前の母音の顕わす意味を、斜め横に逃す「緩衝」作用を持つ母音、つまり、英語で言うところの「曖昧母音」(意味的に)ではないだろうか、と言った。もちろん他の母音論同様、僕の単なる思いつきである。

 だ が、案外、それは当たっているように感じた。

 お祝いの場所である代々木のスナックは、僕がもう30年以上通っている料理のとてもおいしいお店である。彼女は学生時代、そこでアルバイトをしていて、その時知り合ったのである。

 そ の彼女は、大学卒業後、重度の障害を持つ児童教育の先生をしている。すでに4年にわたって朝早く起き(何でも毎朝5時起床なんだとか)、夜遅くまで障害を持つ子らの面倒を見続けてきた。その日集まったメンバーは、彼女のダンナと僕をのぞいては皆、そのお仲間の先生達である。そんな方々ときどき集まっては、教育について語っていたのである(僕にはそんな資格はないのでおそれ多い事である)。皆さんのお話しを聞いていると、ほんとにこの人たちは天使ではないか、と思うほど大変なお仕事をされているがまったく悲愴感はない。「ヨシエ」君は1年間の産休を終えると、また障害児学校の先生に復帰されるそうである。僕には、絶対真似できましぇん!

 「 ヨシエ」君は、見た目は、とてもたおやかな美人君であるが、その障害児教育にかける情熱は、その「名前」からは想像もできないほど、火のように熱いのである。「ヨシエ」は「よしっ!」という意思を最後の母音「え{e}音」でマスクしているが、自ら決めた道をキッパリ突き進む、強い意思の母音(i)=愛を内包していたのである。


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