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勇者 “ライ”ディーン



 今 年の8月、ひょんな偶然からライ・クーダーの新作「MY NAME IS BUDDY」(写真右)を、その解説を翻訳された方(友人の奥様)より入手、そのあまりの素晴らしさにひっくり返って、感動のあまり、よだれと涙を流した話しは先に書いた。
 そ  こであらためてライの近況を追ってみたら、あらま、ビックリ!この1、2年のあいだに、さらにあと2枚ものアルバムをプロデュースしているじゃないの!

 もちろん、すぐさまズィ・アマゾン様より購入を果たす。

 「チャベス・ラヴィーン/ライ・クーダー」と「ネヴァー・ターン・バック/メイヴィス・ステイプルズ」がそれである・・・どっひゃ〜〜〜!ま、まいりました!

 よわい60歳を迎えたライさんは、この年になって、ついにベートーヴェンで言うところの「傑作の森」の時代へ突入された模様です。
 こ の3作に共通しているのは、徹底して、「弱者」への救済の眼差しと、「強者」に対する神の如き怒りであるが、それらは一見地味で静かに、しかもどこかユーモアすらともなって進行するライの音楽の中に、実にさりげなく、しかし精巧に織り込まれているので細心の注意をはらって見ないとなかなか気づきにくい。

 確かライは小さい時に、事故でどちらかの眼の視力を失っている筈だ。そのエピソードを聞いた時、急に北欧神話の大神「オーディン」のことを思い出した。
 小 学4年生の時、両親に河出書房の「世界少年少女名作大全集」を買って貰ったが、その第1回配本は「ギリシャ・ローマ神話/北欧神話」だった。

 ギリシャ・ローマ神話・・・特にギリシャ神話はとても面白かったけれど、まだ幼なかった僕は、実は北欧神話の方に、より心を奪われたのである。その時は、なぜそうなのか理由はよくわからなかった(というより、10才の子供がそんなこと考えるわけがない!)が、今はわかる。それは、ギリシャ・ローマの神々は、神であるがゆえ、当然のごとく不老不死なのに、北欧の神々は不老でこそあるものの、「不死」ではないのである。つまり物語の最後では、なんと殆どの神々が死に果ててしまうのだ!
 ”  死を運命づけられた「神々」の戦い”・・その形容矛盾の不思議な世界が、幼い僕には、恐ろしくも魅力的だったのである。

 登場する神々には、オリンポスの神々ほどの人間臭いキャラクターはいないのだが、僕はアスガルドに住まう北欧神の中でも、とりわけ”ヴァルハラ城”のあるじ「オーディン」が一番好きだった。彼は神々の世界を巨人族から守るために世界中の智慧を得ようとするが、そのためには自らの片目を出す必要があると巨人ミーミルに言われると、何もためらうことなく即座に自らの片目をえぐり出して彼に差し出す。「智慧を得る為には何の犠牲も厭わない」その行為が、子供心にも、文字通りとても神々しく映ったのだろう、ゼウスやユピテルに惹かれるものとて何もなかったのに、「オーディン」は、いきなり小学校4年生の僕の大ヒーローになっていた。神話の最後、「オーディン」が巨大な狼神「フェンリル」に飲み込まれる「神々の黄昏」のシーンは悲しくて読みかえすたびに泣いていた。
 幼 いライは世界をもっとよく観るために自らの片目を差し出した。そして「オーディン」が2匹のカラスを世界中に飛ばしてあらゆる知識を得ていたのとは対称的に、ライは自らの足で世界中を旅することにより、少々時間はかかったが、ついに誰よりも素晴らしい見晴らし力(パースペクティブ)=「智慧」を身に付けたのである。

 我々凡人は、両の眼をもってしてもほんの10メートル先の崩落しかけている巨大な岩の動きすら見逃してしまうのに、何でも見通すライちゃんは100キロメートル先の危険な小石を発見して、我々に注意を促している。もちろん、直接的にそういうことを声高に叫ぶわけではない。それは暗号的にそしてメタファーとして、美しくて、かっこよく、どこか乾いた笑いをそこかしこにちりばめた、この3連作の音楽の中に巧みに織り込まれている。傑作の「森」と呼ぶ由縁である。
 こ の、ライが見事に織り上げた一見美しいテクスチャーの中に浮かび上がる文様は、しかしよくよく見ると、カトリーナ台風後、全てを失った黒人たちの悲痛な叫びと、50年代、60年代の公民権時代(メイヴィスのアルバムの表紙(写真左)は公民権運動のさなかのデモのワンカットであり、また、その中ジャケには、メイヴィスの父「ポップス」と故マルチン・ルター・キング牧師が並んでいる写真が掲載されている)の頃から、彼らに救済の手を差しのべようともしない、公民権法施行後も、実は何も変わっちゃいないアメリカという国の現状がテーマになっている。また別の角度から同じこのテクスチャーを眺めてみれば、今度はそこにロス・アンジェルスの巨大な資本力の陰謀によって自らの居住区(それが“チャベス・ラヴィーン”(写真中)・・で、そこは今の“ドジャーススタジアム”)を奪われたチカーノやチニートらマイノリティのやり場のない怨嗟の声を通して、「変わっちゃいない!」どころかますます酷い方向に「変わっちゃいつつある」アメリカの恥部と暗部を浮かび上がらせている。さらにこの見事な織物の裏地を注意深くひっくり返して見れば、そこには「9.11」以後のアメリカの、自らを神と勘違いした愚かな行動に対する警告が縫い込まれていることを発見できるのだ。
 今 、「オーディン」は、確かに「ライ」に憑依したようだ。

そうか!それが隻眼の勇者“ライ”ディーン!

チャンチャンチャ〜〜ン、チャンチャチャ、チャンチャカチャンチャンチャ〜ン!

なんと「ライディーン」は預言の歌だったのである。知らんかってん、ちんとんしゃん!

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