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世界遺産〜カレン・ダルトン



 こ の「イン・マイ・オウン・タイム」(写真左)は、ずーっと探していた(というよりCD化を待望していた)アルバムである。生涯にたった2枚の傑作アルバムを遺し、忽然と姿を消したアシッド・フォークの女王(と、なかば伝説化している彼女)・・・僕はそのデビューアルバムは持っていたが、この2枚目は聴いたことがなかった。ずーっと廃盤だったし、CD化されなかったからだ。いや、中古のアナログ盤に限れば、確かに新宿のディスク・ユニオンの壁にはずーっと飾ってあったが、値段は数万円!しかもすでに我が家にはアナログプレイヤーがない上に、飾って眺めてウットリするほどの盤鬼でもない。なので、永きに亘って文字通りの「幻のアルバム」であった。それが、昨年11月頃新宿のタワーレコードで偶然にも発見することになる!時間があったからついふらっと立ち寄っただけだったので、この脳裏にだけはクッキリはっきり焼き付いているジャケットが視界に飛び込んできたときは本当に驚いた!ま・さ・か!である。つ、つ、ついにCD化!か!である。もちろん輸入盤だけど。
 す っ飛んで家に帰り、震える手でプレイヤーにセットする。1曲目「サムシング・オン・ユア・マインド」のイントロのベースが流れてくるや否や思わずのけぞる。そして彼女の声を聴いた瞬間総毛立ち、全身が鳥肌実(知らない人はスルーしてね)と化す!一枚目よりさらにアシッドである。若い女なのか、老婆なのか、全くわからないかすれた声。だが、そこに流れるのは、空中に宙吊りにされたかのような不安定で奇妙な寂寥感である。デビューアルバム(写真真ん中)でも、この足場を失ったかのような、独特な寂しさや哀しみにこころを鷲掴みにされたが、こちらは更に魂を揺さぶられる。その後の彼女の人生(音楽業界から足を洗ったあと、“ホーム”レスとなり最期はクスリとアルコールでボロボロになって亡くなった)を知っているからかも知れないが、すでにこの時点で「死の影の匂い」がただよい、「滅びゆくものの叫び」がきかれるのが、あまりにもさびしい。
 彼 女は12弦ギターとロングネックバンジョーの名手ということだが、バンジョーがきけるのは、実はロングネックバンジョーを抱えている彼女の写真が表1のデビュー作(写真真ん中)ではなく、この2作目の方である。異常に長いロングネックがどのように音に影響するのかはよくわからないが、4曲目「ケイティ・クルエル」と8曲目「セイム・オールド・マン」できかれるその響きは、確実に彼女の歌声の寂寥感を倍加させている。バンジョーに寄り添われた彼女の歌の世界に胸が塞がる思いがしてくる。
 フ レッド・ニールがその才能を絶賛し、ボブ・ディランが「カレンは最も好きな女性シンガー・・・・彼女はビリー・ホリディのように歌い、ジミー・リードみたいにギターを弾くんだよ」と言ったという(一番右の写真・・左がボブ・ディラン、真ん中がカレン、右がフレッド・ニール)だけあって、プロデュースはディラン「追憶のハイウェイ61」のベーシスト、ハーヴェイ・ブルックス!そしてエイモス・ギャレット、ジョン・ホール、ジョン・サイモン、ビル・キースなどのウッドストック派の巨匠たちが、若くして既に枯淡の境地でサポートしている。レコーディングスタジオは言わずと知れたベアズヴィル!だが、何と言っても彼女のバンジョーが切ない。とくにバンジョーにボビー・ノトコフ(クレイジーホースの前身バンド「ロケッツ」のメンバー)の弾くヴァイオリンがまるで中国の楽器、二胡のように絡みつく「ケイティ・クルーエル」を聴いていると、このまま消え入りたくなる、というか死にたくなる、というか死の淵にズリズリと引きずられていくかのような、大変危険なアパラチアン・チャイニーズ・ブルース(そんな音楽のジャンル、初めて聞いたって?そうでしょうとも!だって、たった今僕が初めて言ったんだから)である。
 実 は、今回初めて知ったのだが、彼女はネイティブ・アメリカンの血を強く引いているそうだ。しかもカレンのお母さんはなんと純粋のチェロキー族!・・・・ゴールドラッシュに目が眩んだ白人によって、もともとの故郷ジョージア州からオクラホマ(だからカレンの出身地はオクラホマだったのか!)までの1000キロの道のりを真冬に徒歩で強制移住させられ、餓えと寒さと病気で8000人が死んだ「涙の旅路」(TRAIL OF TEARS)として有名な悲劇の部族チェロキー族の末裔だったのだ。
 ネ イティブ・アメリカンの悲劇の歴史は、同じくこの地で、白人に奴隷として連れてこられて虐待されてきたアフリカ系アメリカ人、早い話しが、「黒人の歴史」とともにアメリカのもう一つの歴史の暗部であり、とくに「涙の旅路」は、アメリカ合衆国が行った「歴史上最も恥ずべき行為」とされている暗部中の暗部の、そのまた恥部なのである。
 だ が、黒人は、その虐待の刻印を、逆に音楽に焼きつけることができた。ジャズ、ブルース、ソウル、ファンク、ヒップホップなどなど、最早ポピュラー音楽は黒人ミュージシャンの才能なしには存在しえない。ロックもこれらが無ければ誕生しなかったという事実は、白人たちも、悔しいかもしれないが、心の奥では認めていることだろう。
 だ が、ただひたすら、殺され、追われて、逃げ延びて、または荒れ地に囲われていったインディアンたちは、それができなかった。黒人の音楽のようには、現代につながる物は何も遺せなかった。白人の音楽であるブルーグラスにバンジョーはかかせないが、実はバンジョーはアフリカ由来による楽器である。ネイティブアメリカン特有の歌や音楽や楽器はあったであろうが、それらが現在の音楽シーンに影響を与えているとは寡聞にして聞かない。
 ジ ェシ・エド・デイビスやカーリー・サイモンなどネイティブ・アメリカンの血を引くミュージシャンたちに共通して感じる、どこか、大地とのつながりをいきなり切断されたかのような行き場のない哀しみをたたえる音楽には、先祖たちが代々の土地を収奪され最期には行き場を失くし、自分たちが存在していた痕跡すら残せないかも知れない不安と哀しみを抱えた部族の歴史が色濃く投影されているような気がする。
 ア メリカで暮らしているアフリカ系アメリカ人たちは地図を見れば自らの出自であるところのアフリカ大陸を発見できるし、そこでは今でも自分たちの同胞が生活していることを確認できる。だがネイティブアメリカンはそれができない。先祖たちの土地には、すでに別の人種が、まるで昔からそこに住んでいたかのようにデカイ顔して横柄に振る舞っている様を見るしかない。
 土 地(故郷)を失った民族の歴史は哀しい。カレンはその歌から容易に想像できるように、とても繊細な人だったそうである。レコーディングもあまり気がすすまなかったようで、最初のレコーディングも、フレッド・ニールが「セッションに遊びにこない?」という誘いかけをして、「ねぇ、ちょっと録ってみようよ」とかなんとか言って、すべて一発録りしたものだそうだ。その「IT'S SO HARD TO TELL WHO'S GOING TO LOVE YOU THE BEST」でも、カレンの歌には、どこか着地点を見失なったような不安定な孤独感が充溢する。またこのアルバムは、1曲づつ一発録りした、ということになったいるが、実は一挙に全曲(10曲)通して録り終えたのではないか、と思わせるほど、どの曲も同じ密度の空気とテンションが流れている。まるでその1時間から3時間あまりのレコーディングの空気までをスッパリ切り取って、タイムカプセルにそのまま全部閉じこめたようである。
 そ んなカレンの歌は、ビリー・ホリディよりも、ジャニス・ジョップリンよりも、僕には哀しく響く。断崖絶壁まで追いつめられ、最期は崖から身を投じなければならない絶滅寸前の希少動物の最期の悲鳴のようにも聞こえてくる。
 彼 女はまた、(まるでインディアンのように)定住することを好まなかったそうだ。あちこちさすらった挙げ句、最期は、白人たちが、たった数拾ドルで、インディアンを騙して奪い取った島、マンハッタン島の上に屹立するニューヨークで“ホーム”(この場合の“ホーム”は“家”ではない、“故郷”である)レスとして死んでいったカレンにはそのまま、ネイティブアメリカンの哀しみの歴史が刻まれている。カレンは、自身の骨の髄まで刻み込まれたインディアンの叫びを再びこの2枚のアルバムに刻みつけた後、まるで自らの役目を終えたかのように、忽然とこの世から消え去ったのである。
 こ の2枚のアルバムは、目には見えなくとも、後世に遺すべき、まさに、「音の世界遺産」である。
 追 記

 実は今回この文章を書くにあたって、チェロキー族の血を引く有名人とやらを調べてみた。あまりにも面白いので↓に掲げる。

エルヴィス・プレスリー
キム・ベイジンガー
ケヴィン・コスナー
ジェームズ・ブラウン
シェール
ジミ・ヘンドリックス
ティナ・ターナー
トニー・ジョー・ホワイト
バート・レイノルズ
ロニー・スペクター
ジョニー・デップ
ヴァル・キルマー
 見 事に僕の好きなミュージシャンや俳優が並んだ。

 そうか、僕が、どこか翳りのある彼らの歌や演技に心惹かれてきたのは、彼らの血脈に我々アジア人と同じモンゴロイドの遺伝子が流れているからなんだな、きっと!

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