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ドッ、ドッ、怒濤の「ドリームガールズ」


 タ ダ券を貰ったので、早速事務所を抜け出し、渋谷で鑑賞!!
 オー!オモロイヤンケ!怒濤の音楽映画である。これはやっぱり劇場で見るべし!である。この10年以上、いつも暗く、地味で、泥臭い音楽ばかり聴いているので、久しぶりにポップス音楽を全身に浴びると、暗い地中から間違って急に陽の当たる場所に出てきてしまったオバカなモグラになったような、眩しい感覚がしばらく残ってアタマがクラクラ、足はフラフラしてしまった。
 実 はあまりモータウンに詳しくない。僕の世代ではむしろ珍しい方かも知れないが、ぼくはロイクー(クロい)の反対ね)の歌が実は苦手なのである。この映画の主役の一人でダイアナ・ロス(と、おぼしき)役を演じるのは「ビヨンセ」であるが、名前は知っていたが、顔を見たのは今回が初めて(どえりゃーベッピンさんでビックリ)なのである。もちろん歌を聴くのも初めて・・もっと言えば、今年のアカデミー賞の授賞式で、助演女優賞を獲得したジェニファー・ハドソンとビヨンセが歌うシーンをチラッと見ているのだが、全く記憶にないのである)なぜだろう・・多分、リズム感が「良過ぎ」、歌が「うま過ぎ」、声が「良すぎ」、踊りが「カッコ良すぎ」と「お過ぎ」の四拍子が揃いすぎると僕の耳が自動的にシャットアウトするのかも知れない。いささか過剰に思える彼らの歌い上げ唱法に、自然に腰が動き出すどころか、腰が引けていくのは僕だけかも知れないが、あまりにもアジア人と違い過ぎる・・白人の音楽には、ぼくらアジア人も1000年後にはひょっとして追いつけるかも知れない(ま、ムリだけど)が・・・どんだけがんばっても永久に、アフリカ系アメリカンの音楽には追いつけまい・・(「だから、どうした!」の声あり)
 た だ、黒人の歌が苦手と言ったけど、アフリカ系アフリカンの歌になると、ぼくのココロに心地良く響き、またブルースのように低く嗄れた声で歌われるとこれまた気持ち良くなるから不思議である。
 だ から僕のCD棚にモータウンものは1枚もない。いやソウルものがまずない。当然ファンクもない・・それらの多くは、専ら配偶者のCD棚に並んでいる。もちろんいわゆるロックものは山ほどあるが、考えてみれば、ロックは白人の音楽で、例外は、ジミヘンとスライとギリギリでプリンスくらいだもんね。しかもスライのドラムは白人だったし。実は白人たちも黒人のリズム感と歌声の「強さ」にはかなわねぇなぁ、と思って、ビミョウにジャンルわけしているような気もする。
 で もこの映画を見るとそれ(歌い上げ)にはそれなりの理由と歴史があることがわかる。とくに先週「ロックを生んだアメリカ南部」という本を読んでいたので、なぜ黒人が派手な服を着たり、キャデラックを欲しがるのか、理解していたのでなおさらイタかった。ずーっと前に見たアフリカはマリ共和国のロックバンド「ティナリウェン」の舞台衣裳はピンストライプの派手なラメラメスーツではなくて、美しい民族衣裳で、歌も全く声を張り上げることがなかったが、かれら純アフリカンの遺伝子と、おのれの存在を白人社会で認知させるのに、何世代もかかって声をはりあげ通さねばならなかったアフリカ系アメリカンの遺伝子とは、200年かかって、ついに分化したということなのだろう。
 た だ、いくら僕がモータウンに詳しくない、と言っても、ダイアナ・ロスやシュープリムス、モータウンレコードの創始者「ベリー・ゴーディ・ジュニア」は知っている。なので映画で使われる音楽も耳にしたことのある音楽ばかりだろうと思っていたら、まったく違った。これらは実は映画の下敷きになったブロードウェイミュージカル「ドリームガールズ」の為に書かれた楽曲に、新たにこの映画のためのオリジナル4曲が足されたらしいが、どれも、まるでたった今作られたかのようなモータウンサウンドである。現在のポップチャートの上位にあってもおかしくないような素晴らしい歌が多い。とくにシュープリームス(映画では「ドリームス」)を追われて一旦は落ちぶれるが、再び立ち上がるジェニファー・ハドソンが歌う「リッスン」やジェニファーとビヨンセが歌うそれぞれの「ワン・ナイト・オンリー」(ブルースヴァージョンとディスコヴァージョンの2種類とも)やラスト近くでビヨンセが歌う「ハード・トゥ・セイ・グッバイ」など、どの曲も映画の各シーンに見事に寄り添う完ぺきなサウンド・トラック!
 ビ ヨンセやアカデミー助演賞受賞のジェニファー・ハドソンは言うに及ばず、エディ・マーフィなど、みんな演技も歌もサイコーだ。だから突如ミュージカル仕立てになるシーンも何等の違和感がない。だが、1番興味深かったのは、ジェイミー・フォックスが演じた「ベリー・ゴーディ・ジュニア」がモデルと思われる「カーティス・メイラー・ジュニア」だった。まさしくショービジネスの裏世界を物語の筋にしながらも、1960年のアメリカを吹き荒れていた黒人による公民権運動など、波乱のアメリカで黒人音楽を、なんとか白人音楽ビジネスの中に持ち込んでそこで勝ち上がろうとする一人の男の強引な生き方を演じて見せる。その強烈な意思は、白人のエンタテインメント世界に入るためには、たとえ黒人のソウルを抜いてでも白人好みの洗練された楽曲に仕立て上げることをいとわない、ヒットのためならどんな汚い手を使うこともためらわない・・結局そのために最後はみんな彼のもとを去っていくのであるが、彼のおかげで、すでに裏音楽世界で白人音楽を凌駕していた黒人音楽が、表舞台でも彼らに勝利したのである。以後、ポピュラー界における黒人音楽の優位性は揺らいでいない。「すべてのヒット曲は踊れる音楽である」とは、山下達郎さんの名言だが、「踊れる音楽」=ポップスにおいてブラックに勝てる人種はないからである。
 一 度レコード会社の経営に失敗している僕としては彼の孤独さは少しだけ理解できるような気がした。そのレコード会社を一緒に経営していたM田君は、そういえばモータウンが大好きだった。モータウンの音楽もさることながら、その成功物語モータウン“ストーリー”に憧れていたのかも知れない。彼は洗練された音楽を作るのが大好きだった。ダサい音楽は論外だが、土臭いもの、汗臭い音楽もダメだった。音楽は“オシャレで洗練されているべきもの”・・・だから、そう確信する彼にプロデュースされるアーティストは心のどこかで「魂を抜かれそう」なオソレを感じていたのかも知れぬ。そのために起こった多くの軋轢や修羅場は忘れられない。その彼は今や、ボサノバの法王「ジョアン・ジルベルト」と直接話せる、世界で数人しかいないプロデューサーの一人である。どこまでも洗練された音楽を求める彼が最後に辿り着いたのが、「洗練の極み」のジョアン・ジルベルトのボサノバであることに何も不思議はない。おかげで、この数年、われわれは日本にいながらにしてジョアンのステージに触れられる幸せに浴しているのである。

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