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世界史が必修なのに未修なのら!事件:前編

 へ ぇ〜世界史っていつの間にか必修科目になっていたんだ。ホーント?ちぃーっとも知らなかったわ〜ん。(_スチャラカ社員)で、多くの高校でこの必修の筈の「世界史」を実際には履修していないのに履修したことにして単位を与えていたことが判り、大騒ぎになっている。
 実 は専門学校でミュージックビジネスマンを目指す生徒に「著作権」を講義している。
ぶら:「そもそも、著作権という考え方は、グーテンベルグという人が『活版印刷機』を発明したことを契機に産まれたんだけど・・・グーテンベルグは知ってるよね?」
生徒: 「・・・・しーーーーーん」
ぶら: 「へっ?グーテンベルグ知らないの?ガチョーン!」

 同じく作曲家志望の生徒にも「著作権」を講義している。
ぶら:「・・・フランス革命によって王侯貴族が没落し、市民階級が台頭するとともに、それまでの王侯貴族や教会のパトローネスのもとで生活していた音楽家たちは、その庇護を失い、生活の糧を一般市民に求めることになった。そこで18Cにはすでに普及していた印刷機を使い、楽譜を売ることで生計をたてるようになった・・フランス革命って知ってるよね?」
生徒:「・・・・しーーーーーん」
ぶら:「へっ?フランス革命、知、知らないの?ガチョーン」

 なるほど、未修なら「しーーーーん」で「がちょーん」なわけだ。
 べ つに音楽と世界史は関係ないでしょ、って?んなことはない!音楽を勉強すれば自然と世界史にぶちあたる・・ってことは上の二つの事例でもう証明されてるでしょ。
 イ ンターネットは「グーテンベルグの活版印刷以来の最大のメディア革命」と言われている。グーテンベルグの活版印刷機の発明は、それほどの大発明なのである。どこが「大」なのかというと、この発明のおかげで、宗教改革が大きなウネリとなって(ルターはこの活版印刷機を使ってカトリック教会を批判するポスター(当時ヨーロッパ人の識字率は非常に低いので当然に絵入り)を多数刷って民衆に配った・・つまり彼は紙媒体とイラストを使って宣伝活動を行なった世界初のプロモーターだったのです)近代資本主義が芽生え、地図が印刷されたので地理上の発見が引き起こされ、それらが組み合わさって近代資本主義の申し子アメリカ合衆国が誕生し、そのアメリカの大いなる影響下に今の日本がある・・などなど、その後の歴史に、そして当の今現在の日本人(つまり私にもあなたにも)計り知れないほどの「大」影響をもたらしたからだ。だからこその「大」発明なのである。
 な のにそんなことは知らなくていいのか・・いいんだろうなぁきっと。先生たちは「そんなこと知らんでもええ・・とにかく大学に入れれば、あとはその生徒は幸せ一生を送れる筈だ」と考えているってことだもんね。
 片 や、北朝鮮の核開発をめぐって日本ではまたもや「核武装論」や「憲法改正」論議などがわきおこっている。また外交を舞台にした政治の舞台では、ずーっと前から何度も日本の「外交音痴」や「宗教音痴」ぶりが指摘されている。

 世界史というか歴史(当然に宗教史を含む)を学ぶことなく、これらの問題をうまく解決できるのだろうか?またそれらの問題をうまく解決できる次世代の若者を育成できるのであろうか?
 ニ ュースによれば、文部科学省は、これからは世界についての認識を高める必要があるから「世界史」を必修にしたそうだ。つまり、当時(1989年)の文部省は、別段外交官を目指す学生だけが世界史を履修すればよい、とは考えなかった。これから日本はグローバル化する方向に舵を切るであろう、さすれば、あらゆる仕事の場において外国人と仕事をするケースが増えるであろう、そのときその外国人のお国の歴史や事情を知っていればビジネストークも大いに盛り上がるであろう、さすれば日本企業に大いなる利益をもたらす筈である、そう考えたのであろう。その考えや良し!ならば、なぜ全学部において世界史を必修受験科目にしないのよ! その中途半端な行いや悪ろし!
 と ころで、世界史は生徒たちにとっては「範囲が広すぎて興味を持ち続けにくい科目」であるらしい。

 なるほどなぁ・・・僕はそうは思わなかったが、多くの生徒がそう考えているというのなら、いまの世界史は教え方というか教科書のありかた(特に教える順番)に問題がありそうな気がする。
 と いうのは、僕らが教わった世界史は(多分いまでも同じだと思うが)、最初に世界の四大文明から始まり、古代ギリシャ、古代ローマ、民族大移動、フランク王国と来て、いきなり中国に飛んで、秦、漢、隋、唐となり、こんどは突然インドにいってアショカ王がどーした、こーしたと進んでいく。

 確かに世界史は日本史の様に通史で学ぶというわけには行かない。でもそれだけが世界史が敬遠される理由だとは思わない。だって通史で学べる日本史を含めて生徒達はおしなべて「歴史って苦手っつーか、ダイきらーい!」と言うのだから。
 日 本史にしても、縄文、弥生から卑弥呼に行き、古墳時代、飛鳥、奈良、平安へと、「当たり前のように」過去から現代に向かって進んでいく。しかも高校では、日本史も世界史も近代史まではかろうじて習うにしても、現代史については殆ど学ぶことがなく、せいぜい春休み中の自習課題として先送りされるのが関の山である。だから「今の自分」とせっかく学んだ「過去の歴史」が分断された状態のまま、卒業式を迎えることとなる。

   ・・・以下後編に続く

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