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「質より量」
 ふ つう、「質より量」というと、「量より質」より一段と低いところに貶められることが多い。
 「量は、どうでもいから、おいしいモノ、体にいいものを食べるのが好きですね」という男と「牛丼でもカレーでもなんでもいいから、おらぁ、とにかくハラいっぱい喰うのが好きずらよ」という男がいたら、圧倒的に後者が「おつきあいしたくない男性」として選択されるだろう。(多分・・)

 話 は飛ぶが、小学生にいきなりジャズやブルースを聞かせても、「ひぇー・・なんてカッコいい・・」と失神する子は少なかろう。マイルス・デイビスでもマデイ・ウォーターズでも、1分と聞いていられないと思う。だが、その小学生の父親が、ジャズのトランペッターで、母親が「スィング・ジャーナル」の編集者であった場合は、事情が一変する。小学校3年生にしてすでに、青山ブルーノートに入り浸り・・なんてこともあり得る。そしてこのての話は実に多いのだが、一般的には「やはり遺伝子よねぇ」とか「DNAが騒ぐんだろうね」とか「やっぱ、血は争えないわなぁ」的な語りで括られる。
 血・・そうかも知れない。でももう一つ「育った環境が違うもんね」と言われることも多い。
 「 質より量」というのはそのことだ。先の小学校3年生は、まさに生まれてすぐにジャズが流れる家庭に育つことになるのだから当然に意識的であれ、無意識であれ、ものごころつくまでに、無数のジャズを聴くことになるだろう。(もちろん、お父さんが、将来ジャズメンでは喰っていけないから、子供には意識的にジャズは聴かせない!という方針であれば別だけどね・・そうでないかぎり)母親の胎内にいるときから聴いている音楽の量は、かなりのものになるだろう。そんなガキにとっては、ジャズは普通の音楽だろうし、モーニング娘。や「あゆ」とともにお気に入りであったとしても何等不思議ではない。
 ア テネオリンピックでの福原愛ちゃん・・若いころからあんなにおばさん顔で、年取ってからどうするんだろう??
 そ んな余計な心配ではなく、彼女は、15歳にしてすでに2万時間近くの練習量をこなしているんだそうな。卓球のプロ(っていないから、ま、世界選手権に出るレベル)でさえ、やっと22,3歳で達成する練習時間らしい。また、プロという意味では囲碁の世界も敵わない将棋の世界・・文字通りの実力オンリーの世界だが、ここでも、奨励会に入るまでには、少なくても1万5千時間の練習が必要なのだそうだ。10歳で奨励会入りする少年もいれば、16歳で奨励会入りする子もいる・・その年齢差は、先天的な将棋の才というより、どのくらいの時間(期間)をかけて1万5千時間に到達するかの差であるらしい。
 ミ ュージシャンの世界は「見猿、聞か猿、言わ猿」ではすまない!プロになるかどうかは別にして、その職種を好きになるかどうかは、数多く、聞く、見る、触るなのだろう。まずは質より量・・・数多くの音楽をからだになじませるまで数多く聞く・・これにつきる。だが自分がミュージシャンの2世に生まれていないからといって「育った環境が違うもん」とひがむことはない。いつからでもいいから、これからでいいから、とにかくたくさん聴くことだ。
 ゴルフの格言にもこういうのがある。
「ゴルフはどんなに早く始めても早すぎない。またどんなに遅く始めても遅すぎない」
 オ ルタナカントリーと呼ばれる音楽がある。「チータカ、チータカ・・」ヴァイオリン(フィドルといいますね)が鳴るショウビズカントリーに対するカテゴリーわけのギョーカイ用語だが、このオルタナカントリーの代表バンドと言われる、サンボルト、ウィルコ、ウィスキータウン、ウォールフラワーズ、ジェイホークスなどは、当然にアメリカ南部の出身の若者が多い・・かれらの生まれ育った南部は、カントリーやブルーズやジャズがそこら中にあふれている。だからかれらは若いとき、これら、まわりにあふれすぎている音楽に反発する!そんなかれらが若いときに洗礼を浴びたのが、第二次パンクブームとも言うべき、ニルバーナの強烈な音楽であった。「カントリーなんかくそくらえ!カート・コバーンこそ我が命!」言ってみれば、えいチャンにあこがれる日本の若者のようなものである(ちと違うか)。
 そ んなバンドの一つ「ウィスキータウン」。そのボーカルのライアン・アダムス(すでにソロとして独立していて、つぎつぎに傑作アルバムを発表してくれている)は祖父が亡くなったとき、祖母が、おじいさんの残した膨大なカントリーのコレクションを聴きながら、かれを偲んで泣いているのを見て、「カントリーの何が、そこまで聴くもののココロを揺さぶるのか?それを知りたい!」と思い、子供のころさんざん聴かされていて、一度は大嫌いだった、カントリーにアプローチして見ようという気になる。ウィスキータウンの誕生である。そしてかれらは「リプレイスメンツのポール・ウェスターバーグのパンクスピリッツとグラム・パーソンズの歌心をねじりあわせ持つ」という評価を得、メジャーデビューする。
 ラ イアン・アダムスは幸せだ・・・パンクに行き詰まったとき、小さいころいやになるほど耳にしたカントリー音楽に立ち戻り、そこから新たな音楽をつくることができたからだ。音楽に行き詰まらないミュージシャンはいない。そのときその閉塞状況を脱するのは過去に聴いた膨大な音楽の記憶と、今現在という「時」を映し出している音楽との「奇跡の出会い」しかない。だからいやになるほどの量の音楽を聴くことは無駄ことではない、どころか、あらゆる音楽家にとっては、「危機脱出」のために絶対必要だ。しかし最近のミューシャンは、浴びるほど音楽を聴くということが少ないという。音楽以外にもお楽しみはたくさんあるから無理からぬことかも知れない。だが、いや、だからだろう、20代の子が作ってくる音楽はとても幼く独善的ものが多い。(逆に、数はすくないが、昔の20代ではとてもつくれない、おどろくほど大人びた音楽を作る子も存在する・・この二極化についてはまた別に記す)。
 僕らの世代(50代)が若いときのお楽しみと言えば、音楽と映画と本しかなかったから、程度の差はあれ、誰もが、この三種の神器のどれかに囚われていた、だから、この世代は、文化的価値を共有している。そのうちで音楽に囚われた連中は、金がないし、他にすることがないから、音楽に集中した(するしかなかった)だから、「シュガーベイブ」がバンドを解散したとき(結成したとき、ではない)、村松邦男は23歳、山下達郎、大貫妙子はわずか22歳だった。
 年 齢の若さを誇っているのではない。これは言ってみれば福原愛ちゃんが、卓球しかやることがないから、15歳でオリンピックに出場した、というのと同じだ。
 言いたいのは、愛ちゃんが「死ぬほど練習した」ように音楽家も「死ぬほど音楽を聴く」「死ぬほどギターを弾く、死ぬほどドラムを叩く」ということが必要だ、という至極当たり前のことだ。なぜ「至極当たり前」かといえば、音楽はアタマが弾いたり、叩いたり、歌ったりするものではなく、身体発信表現だからだ。あたまが考えるより先に身体が音楽を奏でる・・そのタイムラグが「グルーブ」の正体ではなかろうか。
 だ から、これを読んでいる若きミュージシャン志望のあなたが「げっ!オイラもう28才だ・・間にあわねぇ・・やべぇ!」と思うことはない。
 さっきも言ったけど、30年前とは、時代が違い、身の回りに楽しいことは多い。だから、昔はハタチまでにマスターしているのが普通だったことが、30歳までにマスターするのが普通、に変化しているのだ。だから28歳のあなた!昔の18と同じだよ。だから焦るこたぁないって!
 しかし片や、レコード業界は、未だに20代でデビュー!を金科玉条にしているが、それは昔の話ではなかろうか。アイドルでもないかぎり、いまのミュージシャンを20代でデビューさせるのは、その昔でいえば、10歳の子どもをデビューさせるに等しい。だから、メジャーデビューして、すぐに、あとが続かず、契約終了、なんてことが起こる。デビューが早すぎるのだ。むしろ、契約を切られてから、ミュージシャンシップに目覚めるひとも多い。だが、一回見捨てたミュージシャンをその後もウォッチして、再度評価しなおすなんてこともない。ほんとうは「ミュージシャンシップ」をもっているひとこそを世に出すべきなのに、今の音楽業界は逆なことをしている。
 坂 本龍一や大貫妙子、矢野顕子など、50歳を越えても尚、旺盛な音楽活動を続けている。彼らは最初から、音楽シーンの真ん中でスポットライトを浴びていたわけではない。むしろ昔はちっとも売れないミュージシャンだったのだ。シュガーベイブは、ライブでは観客から石を投げつけられていた・・でもみんな、仕事はもちろんだが、仕事がなくとも、夜ごとどこかに集まってセッションしていたのである。現在は、たまたま著名人だが、もしそうでなくともかれらは、いくつになってもどこかで嬉しげに音楽をやっていたことだろう。音楽的地肩の強さ、臂力が、かれらを年齢を越えて音楽に向かわせるのだ。
 再 び「ゴルフ」ネタ。
 ゲイリー・プレイヤーというゴルファーがいる。今いちばん有名なゴルファーはタイガー・ウッズだが、かれはゴルフのもっとも権威ある四大メジャーを制している。ほかには二人しか達成していない偉業だが、一人はジャック・ニクラウスで、もう一人が、そのゲイリー・プレイヤーなのである。かれは南アフリカ連邦の出身で世界をまたにかけてゴルフを戦ったが、実はとても小柄なひとである。その彼が、「なぜ欧米が中心のプロゴルフ界で、大柄なアメリカ人に混じって南ア出身の小柄なあなたがそんなに活躍できたのか?」という質問に対して「サラリーマンも一日8時間、働いている。僕も最低一日8時間練習している、今でもね。ほかのゴルファーより少しでも多く練習したおかげだと思う。」と答えている。
 そ の昔名を馳せたミュージシャンでも、最近はとんとその活動を聞かない、ということは多い。諸事情はございましょうが、いつのまにか、楽器をさわらなくなっているひとが多い。昔の蓄積で喰っていけるほど甘い業界でもないのに、知らず知らずに、音楽はいつでもできると勘違いしている。音楽は身体が行うのである。あたまや記憶や知識や経験が行うのではない。サラリーマンは、約40年間、一日あたり8時間働くのだ。
 いまでも一日8時間楽器を触っているミュージシャンが何人いることだろうか。単に歌が歌える、単に楽器がうまい、そんなものは、「私、こぶしが口に入ります!」ということと大差ない。要はその特技を一生自己の生きる手段として選んだら、それを続けるということであり、その特技をもって「自分はなぜ生きているのか」という永遠に正解のない問いの中を生き続けるということだ。

 怠 け者のミュージシャンより、40年間サラリーマンを続けたひとの方に、僕は尊敬できるひとが多い。


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