前のページへ 次のページへ 「エートス」こいて、もぉ〜!トップへ Net-Sproutトップへ

スモールタウントーク「カナダ・南部」
 カナダ・南部
  ・・・と言っても、カナダ南部地方のことではない。カナダの音楽家とアメリカ南部ミュージシャンが結びつくと、 ミラクルかつマジカルな音楽が出現する不思議な現象(と思っているのは、今のとこ僕だけだろうけど)について 書いてみよう。
 われわれ日本人がイメージするカナダとは、自然がいっぱい残っている国、ウィンタースポーツの国、森と湖の国、そんなものだろう。少し詳しい人だったら、フランス語と英語圏が混在している、とかケベック州は独立運動が盛んだ、とかメープルシロップはやっぱカナダのオーガニックに限るわな・・とかだろうか。
 また僕らは、ロックといえば、アメリカ発、イギリス経由でもう一回アメリカに里帰り、その大西洋をはさんでの音楽の行き来の間に全世界の音楽になった、との認識はあるものの、そこにカナダの存在を意識することはない。ましてやカントリーミュージックの揺籃の地、アメリカ南部とカナダを結びつけるものなど、全く思いつかないのではなかろうか。
 でもよくよく考えてみると、なじみのミュージシャンの多くがカナダ人だったり、カナダに縁があったりすることに気づく。
 ザ・バンドやニール・ヤング、ジョニ・ミッチェルは有名だが、アラニス・モリセット、アヴリル・ラヴィーン、セリーヌ・ディオン(セリちゃんと言えば(言わないって!)、もちろん、あの耳タコ主題歌「タイタニック」だが、監督のジェームス・キャメロンも実はカナダ人である。主役の二人を演じたのは、いかにもイタリア系のデカプリオといかにもなイングランド人ケイト・ウィンスレット・・このキャスティングの妙が豪華客船沈没の悲劇に移民の悲哀を見事にシンクロさせている)などの正統派歌姫や映画「バグダッド・カフェ」の主題歌「コーリングユー」を歌ったホリー・コールなどはすべてカナダ人だし、シャナイア・トゥェイン、ニーコ・ケース、ナタリー・マクマスターなどのカントリー系の歌姫たちも実はカナダ人なのだ。
 また、若きフィーメール・ボーカリストといえば必ず名前があがるネリー・ファータドもビクトリア生まれのポルトガル系カナダ人だ。
 もう一つ、実はカナダ生まれではないが、ベトナム戦争での徴兵制を逃れてカナダにたどり着き、そこで「ザ・バンド」の鬼才ロビー・ロバートソンに巡り合い、自らの名をタイトルにしたアルバムを出したルイジアナ生まれメンフィス育ちのジェシ・ウィンチェスターに始まるシンガーソングライターの系譜も脈々と受け継がれている。
 ゴードン・ライトフット、トニー・コジネク、ブルース・コバーンやレナード・コーエンは言うに及ばず、若手ではヘイデン、ルーファス・ウェィンライトそしてロン・セクススミス・・女性ではK・D・ラング、サラ・マクラクランにジェーン・シベリー。
 また名前からしてメチャメチャイケてる「カウボーイ・ジャンキーズ」(だってカウボーイがジャンキーなんだよ!)や「ブルー・ロディオ」(だってロデオがブルーなんだもん!・・ってどんなんだろう?)などのバンドやユニットもカナダから離れることなく活動を続けている。
 これらのアーティストの名前を並べてみて、すべてがカナダ人だというと、「ふーん」とか「へぇー」いう方も多かろうと思う。また逆に「それがどうしたっつーの?」とか「だから何だっつーわけ?」いう人も多かろう。
 後者は相手にしないもんね!いや、ちがった!今日は、そんな方々に語ってみたいのです!
 映画「オー・ブラザー」のサウンドトラックで日本でもファンを増やしたエミルー・ハリス。彼女は、グラム・パーソンズ(70年代、ザ・バーズの代表作「ロデオの恋人」一作だけに参加し、その後、同バンドのカントリーフリーク、クリス・ヒルマンと共に「フライング・ブリトー・ブラザース」を結成、これまたすぐ脱退し、ソロを2作発表したのち、クスリのやりすぎですぐ死んだ奇才)に見いだされたカントリー姉ちゃんだが、70年代はともかく、80年代は、ほかのミュージシャン同様低迷し、その才能を持て余していた。が、95年、突如、素晴らしい(それまでも十分に素晴らしかったんだけど、もっと“大”素晴らしい)シンガーに大変身する。それは、カナダのミュージシャンでもあるプロデューサー「ダニエル・ラノア」との出会いがあったからなのだ。
 「レッキング・ボール」がそれだ。
 ダニエル・ラノワは、ブライアン・イーノに見いだされ、ピーター・ゲイブリエルに影響を受けた、何たって「U2」のアルバム「ヨシュア・トゥリー」のプロデュースで一躍世界的に有名になった人だ。ばりばりのカナダ人だが、ネヴィル・ブラザーズ(ニューオリンズ出身)の「イエロー・ムーン」で更に深くアメリカ南部と関わることになる。そのアルバムでボブ・ディランの「バラッド・オブ・ホリスブラウン」と「ウィズ・ゴッド・オン・アワーサイド」をカバーしていたが、それを聴いたボブ・ディランから直接自らのアルバムプロデユースを依頼される。それが本人の久しぶりの全曲書き下ろしによる1989年の傑作アルバム「オー!マーシー」であり、また1998年のグラミー受賞作「タイム・アウト・オブ・マインド」なのだ。またこの間、ウィリー・ネルソンのアルバム「ティアトロ」のプロデュースも手がけている。
 U2とウィリー・ネルソンやエミルー・ハリスを直接結びつけるものなどちょっと想像しにくい。片やアンビエントなロック、片やカントリーである。だが、U2ときたらアイルランド!とこたえないと罰金を取られる今日この頃である。で、カントリーの系譜をたどれば、ジャガイモ飢饉でアイルランドから移民してきた貧しい人々にも行き着いてしまうのだから、あながち不思議ではない。いや、「ヨシュア・トゥリー」だって聴きようによってはカントリーアルバムなのだから地下水脈ではめんめんとつながっていたと考えるほうがむしろ当然なのだ。
 ウィリー・ネルソンのアルバムタイトル「ティアトロ」とは、ついにこの間ニューオリンズに住み着いてしまったダニエル・ラノアが所有するスタジオの名前だ。またエミルー・ハリスのアルバムタイトル「レッキングボール」はカナダ人ニール・ヤングの曲のタイトルだが、それはクレーンの先にぶら下げて建物を破壊するとき使われる巨大な「破壊球」の意味だ。エミルーはこのアルバムでそれまでのみずからの低迷を打破し、またどうもがこうとも抜け出せなかった80年代ロックが陥った定型的呪縛(おそらくビジネスとしては巨大化しすぎたことと、コンピューターを完全には制御できなかったこと、MTVの出現にココロ奪われたことによる)すらも破壊したのだ。まさに二人のカナダ人ニール・ヤングとダニエル・ラノアの力を借りて、カントリーの女王が、オルタナカントリーの女王になった瞬間だった。
 彼女は「レッキングボール」発表のすぐあと、同アルバムのベーシスト・ダリル・ジョンソンやバディ&ジュリー・ミラー夫妻、それにドラムのブレィディ・ブレイド(同アルバムの1曲目(ダニエル・ラノア作)の冒頭から小気味良いスネアーロールを響かせるジョニ・ミッチェルのお抱えドラマー「ブライアン・ブレイド」の弟さん)等とともに行った全米ツアーを収録したアルバム「スパイボーイ」を発表している。これまた素晴らしいライブアルバムだが、この「スパイボーイ」とは、マルディグラで本線とは違う方向へ進んでいく楽隊のことだ。おーこれはまさに女王による堂々たるオルタナ宣言ではあるまいか!
  今年5月、6枚目のアルバムを出したロン・セクススミス・・渋好みのカナダのSSWだが、デビューから3作までは、ミッチェル・フルーム&チャド・ブレイクコンビによるプロデュースだったのが、4作目の「ブルーボーイ」は、スティーブ・アール&レイ・ケネディコンビのプロデュースに変わった。途端に、それまでのどちらかといえばリリカルなボーカル主体の「静」のアルバムから、少し重いリズムを刻む、アーシーな「動」のアルバムに変化した。僕にはこちらのロンの方がずーっとピッタリ来ます。
 ミッチェル・チャドコンビによるデビューアルバム「ロン・セクススミス」、2nd「アザーソングス」も大好きなのだが、幾度も地獄(シャブ中・アル中・ムショ暮らし!)を見た南部のスジがね入りのカントリーロック男、スティーブ・アール・・最新作「イェルサレム」では敢然と反ブッシュを歌い、そのアルバムは放送禁止になった・・そんな反骨のスピリッツがやさしくも哀しいロンの歌声にパワーを与え、単なるSSWアルバムを超えた力強いロックアルバムに変化させているように思う。残念ながら最新作は、スティーブ・アールのプロデュースではない。聞くところによれば、ロンは昨年離婚したのだが、今年めでたく再婚したらしい。そんな幸せなロンにスティーブは不要だったのだろう。カナダ人のリリシズムとアメリカ南部魂のミラクルな組み合わせはわずか一作で終わってしまった。残念な気もするが、1作だからこそのミラクルなのか。
  エミルー・ハリスとダニエル・ラノア、ロン・セクススミスとスティーブ・アール、この2例だけで、カナダとアメリカ南部の結びつきをうんぬんかんぬんするのは、我田引水とか牽強付会とか「ちょっとあんた強引じゃないのっ!」といわれるかも知れない。
 だが先述のボブ・ディランは何といっても「ザ・バンド」とのコラボレーションによって、単なるフォーク・トラッドシンガーから、フォークロック界の巨人への道を歩き始めたし、アメリカ南部から発祥したロックンロールがイギリスに飛び火、イングリッシュインベージョンとなって先祖帰りし、元祖にショックを与えたあと、再びアメリカにロックの主流を取り戻すのに大いに貢献したバンドとして「ザ・バーズ」(その発展型としての「フライング・ブリトー・ブラザーズ」)とともにその名を外せない、「バッファロー・スプリングフィールド」(その発展型としての「CSN&Y」)は、カナダが産んだ世界最高のロックミュージシャンの一人ニール・ヤングを抜きにしては語ることはできない。また、70年代初頭の女性シンガーソングライターブームの一翼をキャロル・キングと共に担ったカナダ人ジョニ・ミッチェルも、その「CSN&Y」の「C」こと「デービッド・クロスビー」によって見いだされている。ここにもカナダと南部の絶妙の出会いがある。いや、そもそも「ザ・バンド」は、カナダ人のバンドといったが、ドラムスのリボン・ヘルムだけはアメリカ南部アーカンソー出身だ。彼が自らの出自であるアメリカ南部生まれのカントリーやR&B、ゴスペルの実際の手触りをその正確なドラミングと共に他の4人のカナダ人メンバーに伝えたからこそ、60年代前半から始まったイングリッシュインベージョンをしっかり受け止め再びアメリカにロックのイニシアティブを取り戻す60年代後半の代表バンドとして「ザ・バーズ」「バッファロー・スプリングフィールド」と共にその名を残すことになったのだ。(これを後に「3大“B”バンド」と呼ぶ・・のは僕だけです)
  うーんっ、そーは言ってもやっぱ、単なる偶然でしょう」という猜疑心豊富な方もいると思う。
 「そーかもね」・・・おいおい!自分で認めちゃってどーする!「いやいや」僕にはとても偶然とは思えない、むしろ何か必然があるのではないかと思えるのだ。
  冒頭に挙げたアーティストのうち、シャナイア・トウェイン、ニーコ・ケースやフィドラーのナタリー・マクマスターたちは、カナダ人でありながら、みなカントリーやブルー・グラッサーであることにおどろかれないだろうか。そうそう、最近購入した輸入盤コンピレーションCD「going driftless ~an artist's tribute to Greg Brown」に1曲だけ収録されていた「ferron」という女性ボーカリスト(発音はフェロンかフェローンか)・・とてもココロ動かされるオルタナカントリーシンガーなのだが、その彼女もCDの英文ライナーによればバンクーバー出身だ。しかもそのライナーには、彼女の歌に感激したBoston Globe紙が「いつの日か、われわれは『ボブ・ディラン?あー、60年代のフェロンね』というようになるだろう」と、思わず「ほんまかいなぁ」と言いたくなる程の最高級の賛辞を捧げている。いや、彼女たちだけではない。アン・マレー、ハンク・スノー、ケイト&アン・マッグリガル姉妹までもカナダ人だ。そして、これらのアーティストたちは、本場、というかアメリカ南部のそれらにくらべてどこか、透明度や洗練度が増していてむしろ本場アメリカ南部のカントリーやフォークよりスピリチャルであるとは思われないだろうか。僕がアメリカ南部とカナダの結びつきに関心を深めていったのは、実はアメリカとカナダの音楽の、「微妙だが、確実に違う手触り・・それはなぜ?」「アメリカ南部がカントリーの揺籃の地なのではなく、むしろカナダ南部の方こそがカントリー揺籃の地ではなかろうか?」・・そんな素朴な疑問からだった。
以下、次回:後編へと続く...


前のページへ 次のページへ 「エートス」こいて、もぉ〜!トップへ Net-Sproutトップへ