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ストーリー不信とラップ現象
 僕らが若いころ・・社会にはすでにストーリーというものがありました。わかりやすいストーリーは「いい大学でて、良い会社はいって・・それが一番」というやつです 確かにものごごろつくころ世の中は、「もはや日本の戦後は終わった」といわれ、高度成長期に入っていました。ところが何時の時代でも若者は「安定的なるもの」「定着的なるもの」には無性に反逆したい本能があるので、この定着・安定ストーリーに反発します。「大学出てそれが何になる!」「いい会社に入って安定して何になる!」・・僕らはこのストーリーをとにかく、破壊すれば良かったわけです。
  全共闘世代は本気で破壊しようと企ていましたし、少しあとの世代は破壊寸前でリクルートルックに着替えて何喰わぬ顔で社会人になり、少し年とってから「俺も若いころは、ずいぶんと無茶したもんさ」と遠くを見て目を細めていればよかったのです。とにかくなんか「安定なるもの」につっかかっていくか、つっかかった過去と記憶を持てれば、それがすなわち若者として生きた証であり、音楽であれ、映画であれ、文学であれ、当時の若者文化の本質を形成していたわけです。明快な二極の対立軸があったので、若者らしくしていられたのです。  
 ところがこの10年間、ストーリー自体がぶっ壊れてしまった。若者達は、誰にいわれまでもなく、良い大学出て、いい会社入っても、幸せにはなれないことを、とっくの昔にわかってしまっている。政治家も文化人も企業家もみんなインチキだと知っている。本能的に破壊に向かおうとする対象自体がすでに破壊されている。そこで若者たちはみんな立ち止まざるを得ない。「破壊しようぜ!」つったって、「だってもう、充分こわれてるじゃん!」これが今の若者の状況でしょうね。(本当に望ましいのは壊れてるんだったら、俺達の手で作り直そうぜ、なのですが、この方向には何故か行こうとはしません。理由は壊すのは簡単だが、作り直すのは大変きつい作業だ、を若者はわかってるからでしょう)
 ストーリー不信・・これが顕著に顕れるのが最近の若者の音楽のメロディレスです。メロディは言ってみればストーリーです。音楽をやる若者は、社会のストーリーに反発している子が多く、彼らからすればメロディを信じるのはストーリーを信じるのと同じ感触が生じるのだと思います。イントロがあって、1番があって、2番があって、サビが来て、三番が来て、コーダに至るという平和なストーリーを良しとできないんだと思います。ウソっぽく感じるんでしょう。だから「うちらは、メロディなんて古くさいものになんか頼らんもんね!感じたことを感じたままに表現するんだもんね!・・・
 でも僕は、感じたものを感じたままに表現したものは、文化ではないと思ってます。最初にナニカを感じることはもちろん大事です。でもその感情のよってきたるものは何なのか?なぜそういう感情にとらわれるのか?そういう分析を経て表現されたものでないと著作物ではない、と思います。わかりやすい例は幼児が書いた絵です。それらは、無邪気で、新鮮です。それは感じたものを感じたままに表現しているから、人々の微笑を誘います。でも、子供たちの絵がオークションにかけられて1億や2億で取引されることはありません。分析を経ない表現は深い感動を呼ばないからです。
  感じたものを分析し、悪戦苦闘して、音楽として表現する。感情と分析・・しかしながら実はそれは頭が行う作業ではなく、身体が行う作業なのではないかと思います。僕にとって「書く」という作業はまさにそれです。何かを感じる・・でも何故そう感じるのかわからない、だがその正体を知りたい・・そんなとき、ワープロに向かいます(今の僕が正にそうなんですが)。そのとき僕のあたまには結論がでていることはありません。それは指が、手が「書く」ことによって、感じたものの正体が何であったのかを事後的に教えてくれます。神戸女子大の内田樹教授風に言えば、霊感が憑依しての「お筆先」状態ですかね。人は考えてから喋ると考えがちですが、喋りながら考えるのであり、思考とは、頭脳がするというより、口や手がするのでは、と思います。思考やアイデアというものは頭に浮かんでいる限りはこの世に存在していない。言語化されたり、音楽的に表現されて初めてアイデアがこの世に現出したことになる。僕がいろんな人に「書いてみれば・・」と薦める理由はこれです。例えば、ギタリストとは、感じたことを指によって分析しつつ表現し、表現しつつ分析する・・そんな存在ではないか、と思います。
  いつかの原稿に書きましたが、音楽は常に時代を映します。だから現代の若者の表現する音楽が僕らの時代の音楽と相違するのは時代が違うんだから当たり前だと思います。ただ、時代がいつになっても同じこと・・それは感じたことを、頭でなく、身体(指や口)で分析しつつ表現する、音楽は極めて身体的表現だ、それだけは変わらない。だから、頭で考えるより先に指が動くようにすることが肝要だということです。
  だから、世の中のラッパーさんたち!
ナーンも考えない上になーんも鍛練の要らない合いの手・・「ヨーヨー!」いうのは
「やめヨーヨー!」
  今回の「ぶらきぼうの言いたい放題!」に対するアンサー・ソング
by Ohji
  現在、確かに若い人たちが破壊できるものは何もないようです。いろいろと意見はあるでしょうが、「すでに破綻しているものを破壊しようとしてもムリな相談」ということは言えるでしょう。ロックはベトナム戦争が終結すると決まったときも、UKがぼろぼろになってピストルズが出てきたときも、一時は完全にドッチラケ状態になりました。でもブラック・ミュージックはすばらしい勢いで発展しましたし 、ちょっと待っていると、
・ フラワー・ムーブメント -> サイケデリック -> プログレッシブ・ロック
・パンク -> 60年代見直し -> アコースティック・ニューウェイブ
などの流れが出て来たり、 パンクとテクノ、パンクとエスノなど、別のジャンル同士が融合していく傾向が出てきて、また活性化するようです。

  ぼくとしてはそういった次の流れを見逃さないようにしたいなと考えています。


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