前のページへ 次のページへ 言いたい放題トップへ Net-Sproutトップへ

CDが売れない理由
 最近、CDの売上が激減している。理由は様々だろう。音楽は時代を映す。時代に元気がなければ音楽もゲンキがなくなるのも当然かも知れない。
 また音楽業界が魅力的に見えなくなった、ということも言えるかもしれない。よく言われるが、夢があるように思えない、デビューしてもすぐ契約切られる、ヒット出し続けなければ将来は不安、などなどいろいろ情報が飛び交う・・・本来「音楽をやる」とは、そういうリスクを全て一人で背負うことだが、それに見合うリターンがなければ、まず他のことに保険をかけてから音楽に取り組む、というのが現代人なのだろう。その結果、音楽の絶対エネルギーが小さくなってしまっている。結局ギョーカイ人(スタッフ)は、自ら手をこまねいて「天才」の出現を待っているだけだ。魅力ある音楽業界にしようとなにかをすることはない。しかし天才は誰かの手を借りるまけでもなく、ただ、時代に背中を押されるがごとくに世に出現するのだからスタッフなど不要・無用の存在だ。そういう目線で音楽業界を眺めてみれば「不要」「無用」「無能」な人が多すぎる。その不要なスタッフの人件費でCDの値段が下がらない。結果、さらなるCD売上の減少を生む。まさに悪循環に陥っているわけだが、ギョーカイ人の存在が音楽家とユーザー双方にとって有害な存在となってはいまいか?  
 楽業界をレコード(CD)業界に絞ってみる。すると不思議なことに気づく。
 CDの購買層は実は、多少侮蔑的に聞こえるだろうが、圧倒的に「おんな・こども」なのだ。昔というか、僕らが若いころは違った。カッコいいレコードを買って女の子を部屋に呼んで講釈を垂れる・・なんて時代があったが過去の話しだ。もちろん、今だって男も購入するのだが、おんな・こどもの比ではない。男が買う比率が高いのは実は「団塊の世代」とも呼ばれる中年層以上の世代なのだ。
 ところが、レコード業界は圧倒的に男尊女卑社会である。イメージからか、開かれているように見えるかも知れないが、実は男社会である。しかも高齢化社会だ。20も30もあるレコード会社で女性社長はわずかに一人、女性の制作部長や宣伝部長など皆無だ。なぜだろう?
  レコード(CD)に限らず消費動向は「おんな・こども」が握っているのに、作り手側は意外と男が握っている。もちろん女性の社会進出が進んだとはいえ、比率からすれば男の比率が仕事社会では圧倒的に多いのは確かだし、また仕事社会の支配者層である男が採用権をもっているのだから、あまり有能な女性は本能的に採用してこなかったのかも知れない。それに加えて、音楽業界は体育会系であり、肉体労働社会でもある。それやこれやで、男社会なのだろうか。
  だが、結局のところ、何が売れるのか、なんて誰も自信がないし、どうすれば売れるのなんてことも、わからないまま宣伝企画書なんて書いて何時間もかけて会議している。営業だってそうだ。マーケットリサーチなる手法がこの業界にも取り入れられるが、この先何が売れるのかはわからない、これまで何が売れたかがわかるだけ。そこに適当な理屈を後から付けで納得しているにすぎない。音楽市場のストライクゾーンなんて消費者が作っていて常に動いている。野球と違って昨日のストライクゾーンは今日のくそボールだ。それにしても野球には不思議なところがある。通常守備位置につく選手は、統計的に、または経験則的に過去もっとも球がよくとんでくると予測されているところにグラブを構えている。だが、そこ=過去よく球が飛んでくるところに打つと、見事にそれは「アウト」になる。そして守備位置と守備位置の間をすりぬけた球だけが「ヒット」なのであり、守備位置から離れれば離れるほど、長打=「大」ヒットになる。つまりみんなが「来る!」と思っているところに打った球はアウトで、「来る」と思っていないところに飛んだ球だけが「ヒット」ということだ。あたりまえのようで、ちょっとおもしろい・・マーケットリサーチに似ていると思うのは僕だけだろうか?
  た、はるか昔、ビザンチン帝国の優れた皇帝であり将軍でもあった皇帝マウリスは、あるとき部下に「このあと戦場でなにがおこると予測すればいいですか?」ときかれたとき「予期しないこと、起きてほしくないことが起こる、と常に予測せよ」と言ったそうだ。「戦場」を「市場」に置き換えれば、マーケティングリサーチにも同じことが言えるだろう。
  そんなわけのわかんないものをわけのわからないまま、大の男が売っているのだ。ほんとはまったく自信がない。その事実を「おんな・こども」に見抜かれたくない。これが真相ではあるまいか。会議が多いのも、課や部が多いのも、夜みんな連れだって飲み歩くのも、みーんな自信のなさのあらわれであり、それを見破られたくないための、ギョーカイあげての無意識の防衛反応なのではないか。
 だからといって「おんな・こども」が会社経営に 向いているのか?といえばそれはわからない。だが重厚長大産業以外、殆どの業界は「おんな・こども」の感覚・感性をすくい取ることができなければますます取り残されるだろう。
  先日、おもしろいテレビを見た。青果市場の仲買人(プロの仕入れ人)に「なぜ、人参とかバラ売りできるようにしないのですか?」と質問するとダミ声で「バッカダネー、そんなことしたって世の中のカァチャン誰も買わないよぅ。パックしてなきゃ安心できないからね。それに1本、一本買ってたらメンドークサイだろ!」と言っていた。そこでスーパーで実験してみた。パック売りとバラ売りを並べて、主婦に質問してみたのだ。そしたら、「パックは結局ムダが出る。だから多少割高でもバラ売りが欲しい」と答えた主婦のほうが圧倒的に多かったのだ。後日このビデオを見せられた仲買歴30年のおやじさんは絶句して言葉がなかった。
 実は、世の中、こんなことだらけなんじゃなかろうか。
  僕や僕のまわりの人たちは個人的に好きなタイプの音楽しか仕事にできないし、それが結果として市場に受け入れないのなら退場すればいいとおもっているから、男だろうと女だろうと、他人の感性なんて関係ないわけだが、社員をかかえ、株主への永続的配当も考えなければならない経営者は、結局のところ「おんな・こども」の感性をとりこまざるを得ないのではなかろうか。すると女性の感覚をいかに活かすのかということに行き着く。リストラするのなら、男をクビにして女を残すか採用したほうがいいかも。
  ころがこの業界、女もバカときている。この文章を読んで、もし「なるほど、オンナの感性ねぇ」と思う諸氏がいるかもしれないが、周りを見回してみて、「ん!こいつなら、それができそうだ」と思える婦女子がいますか?いないでしょう。  これはやはり採用に問題があります。どうしても「使いやすそう」とか「適当なところでやめてくれそう」とかいう基準が入っていませんか?或いはもっと端的に「ちょっと可愛い」とか・・「このギョーカイ明るくなくちゃ!それにはヤッパ可愛いオンナ」なんて言い訳しつつ、採用してませんか。下を向いたそこの人事部長!ダーメですよ。
 だから、実はこのギョーカイ、オンナのレベルも低いのです。 どこか1社くらい、上(社長)から役職まで全部オンナ、なんていうレコード会社があってもいいのでは。こんだけたくさんの、これといった特色のないレコード会社があるんだから、音楽業界にもアート引っ越しセンターがあってもいいでしょう。
  後日談

 このあいだ、この話しを友人にしたところ、「じゃぁ、子ども向け商品をつくる会社は、赤ちゃんや子どもを社長にしろ!ということになるではないか」と言われた。
  だが、子供用品というのは、子供が買いたい商品を開発販売しているのではない、「お母さん」が買いたい商品を作っているのだ。必ずしも子供が「着たい」服ではなく、お母さんが子供に「着せたい」服なのだ。僕の個人的な体験だが、小さい時、冬でも半ズボンをはかされた。しかも靴は茶と白のツートンの革靴だった。昭和30年中頃の話しだ。まだまわりは貧乏でみんな冬は長ズボン、しかもつぎはぎだらけ!、靴はもちろんズック!そんな中で、いかにもなボッチャマ服を着せられる苦痛ったらなかった。経済力のない子供は、好きな服は買えない。つくづく子供服とは「お母さん服」なのだ。
  出版界で異常に長い間、雑誌ナンバーワンの座を保っている「セブンティーン」・・だが、その発行部数の減少に危機感を強めた同誌はついに昨年、編集長が女性に変わった・・えっ!女性誌って女性が編集長じゃなかったの?そう、実は女性週刊誌というのは「男が作る女の雑誌」だったのある。ながーいこと、ね!
 でもそれでは、もう限界なんだわな・・そのことに出版界はいち早く(いや、ようやく)気がついたのだ。
  女性だからいいというわけではもちろんないが、おとこだけではハッキリ、「もうダメ」なんちゃう?


前のページへ 次のページへ 言いたい放題トップへ Net-Sproutトップへ