も、音楽家だけが、格別ドラマチックな人生を送っているわけではない。普通に暮らしている人にもアンビリーバボーなことは普段におきる。身内の病気だったり、恋人の裏切りだったり、親友の自殺だったり・・
れは、本人にとっては、死ぬほどつらいできごとだったり、ドロだらけのおにぎりを口に押し込められるような、あるいは泥水をむりやり飲まされるような体験でも・・それを「死ぬほどつらい」とか「どろのおにぎりだ」とか「泥水だ」とストレートに言ってしまえば、その人だけの極めて限定された個人的体験として完結するしかないが、その音楽家が一旦飲み込んだイタくて苦い「個人的」体験が、その「からだ」と「こころ」を通して音楽を媒介にして表現された作品は、"濾過"され"純化"され"浄化"されている。だから、本人にとっては泥水であったものが、その音楽家の作品を聴く人にとっては、文字通り、のどの渇きを癒す、浄水へと"昇華"する