![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
言いたい放題トップへ
![]() |
Net-Sproutトップへ |
![]() |
![]() |
![]() |
|
![]() | |
![]() |
ところが、日本人の精神には、いまだに右肩上がりの"刷り込み"が残っているために、厳密な現状認識を欠いた「まだまだ大丈夫だ」という議論がなされ。またそうした議論に心情的に賛同することが多い。これは取り返しのつかない大きな挫折につながる見方だと私は思う。 日本には多くの強みがあるという点については、私もまったくそのとおりだと思う。日本型のシステムが何から何まで劣っており、すべてを捨てて新しくやり直すべきだ、というような議論は明らかに間違っている。しかしながら、現在の日本のリーダーたる人たちでさえ、物事を冷静に見て情勢を冷徹に判断するとともに、心のなかにつねに活力を維持して、しかもこの二つを分離できるという心の訓練がなされていないことも事実である。 | |
![]() (中略) 英語にはマデリング・スルーという言葉がある。これは直訳すれば「泥の中をくぐりぬける」ということだが、遠くの見通しはつかないなかでも、積極的に当面の困難に立ち向かいそれを切り抜けて、大きな成果につなげるという意味に用いられる。 |
![]() |
|
![]() |
![]() たとえば、それはシェークスピアの戯曲にも現れているといえよう。シェークスピアの戯曲には悲劇もあれば喜劇もあるが、人生の本質はプロセスである、というギリシャ・ローマの古典につながる考えが根底にあると思われる。日本人はシェークスピアの悲劇と喜劇との違いがわからずとまどうが、人生の本質がそのプロセスにあるのならば、結末が悲劇であろうと喜劇であろうとどちらでもかまわないのである。 |
|
![]() 先が見えない状況のなかで、自分の才覚や判断で何とか切り抜けていく。そのとき、どんな「心の構え」でもって切り抜けていくかを考える。そうすればやがてそのプロセスを、何ものにも代え難い楽しみと感じるようになる。そうした人生観が、アングロ・サクソン文化には深く根ざしている。 (中略) |
![]() |
|
![]() |
![]() 先が読めない場合にも悲観的にならず、うまくいきそうなときにも楽観的にならずに、プロセス自体に情熱をそそぐ態度が、この「霧の時代」を生きるための不可欠の活力をあたえてくれるからである。 第6回へ続く... |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
言いたい放題トップへ
![]() |
Net-Sproutトップへ |