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何故勉強するのか?/ぶらきぼう
 先月の東京新聞に、先生たちがこの命題に対する適当な答えをなかなか見つけられなず悩んでいる、という記事が載っていた。

「何故勉強するのか?」
僕の答えは簡単だ。
「そりゃ、愛する人を守るために、に決まってるでしょう!」

 愛する人、といっても恋人だけではない。家族だったり、友人だったり、とにかく自 分にとって大事な人のこと。
 こういうシーンを想像しよう。

 愛する人と二人で飛行機に乗っていた。だがなんと、飛行機は故障し、墜落!奇跡的にあなたと大事なひとの二人だけが助かった。そして二人は無人島へたどり着く。そうですね、2001年のトム・ハンクス主演の映画「キャストアウェイ」を思い浮かべてください。(もちろん、観た人だけでけっこうです。あたりまえだ!そうでない人は「ロビンソン・クルーソー」を思い出してください。もちろん、読んだ人だけでけっこうです!あたりまえだっちゅうの・・・ただトム・ハンクスもロビンソン・クルーソーもどちらも一人で漂流しているので、大事な人を守る、というより、一人で生きて行くんだけどね。ま、状況は一緒)
 その無人島で、愛する人を死なせたくない。そして、いつの日かこの島から二人で脱出しなくてはならない。脱出は後回しだとして、とりあえず生きていくために、頭はフル回転。だがいくら回転しようにも知識がなければ空転するばかりだ。
 まず、風を避けられるねぐらをさがさなくてはならない。朝はどちらから風が吹き、夜はどちらから?それって小学校の理科で習う海風、陸風でしょう。そして食料探し。そりあえず食べられそうな植物を探す。どれがたべられるのか?毒なのか?それは生物の時間にならう知識が必要。そして火もおこさなきゃならない。これは物理かな。島の中を探検するには、自分のいる位置と向かう方向が東西南北のどちらか知っておく必要がある(それがわからなければ、ねぐらに帰れない。大事な人を一人にしてしまう)が、磁石がなけりゃ、夜の星座、星の運行だけが頼りだ。それって天文学、いや地学か。漂着してから今何日が経過し、今日は何月何日か?それだって暦の知識が必要でしょう。

 そして何とか食料が確保できたら、筏を作る。これは大変な作業だが、「工作」の時間の経験を思い出しつつ必死で活かすしかないです。そしてこぎ出すタイミング・・海流と季節風の知識がなければ、死に向かって漂流することになりかねない。大切な人を生かすどころか死なせてしまう。愛する人を守る為に一体どれほどの量の知識が必要か想像もつかない。
 もちろん、知識だけではなく、勇気や気力や経験や運が必要なことは言うまでもない。だが、勇気と気力だけでは生きていけない。もし学校でなにも勉強せず、何も経験していなかったら、どんなに「君を、あなたを、妻を、子供を、兄弟を、親友を守ってみせる」と大見得をきっても、すぐにそれが言葉だけであることに相手は失望するだろう。そしてあなたはきっと後悔するはずだ。

 「あーあ、もっと勉強しておけばよかった」と。
 無人島で愛する人を守るために、勉強が必要なことはわかりました。でも何故、英語や古典を勉強する必要があるの?無人島で生き抜くのに漢文の知識が、何で必要なの?

 ごもっとも。
 ここでは次のことを考えてください。

 あなたは愛する人と無事無人島を脱出。いまや、そのセンセーショナルな体験を生かし、殺到する講演依頼をこなす毎日で す。そして、ついにはある女子大の講師までも務めることに。科目は「サバイバルについて〜愛する人を守るには」です。(女子大であることの意味はあまりありませんが、なんとなく、です)
 勉強の意味について人より深く悟ったあなたは、その後いろいろな本を読みました。最近の本だけでなく、古典も読みました。また、日本の本だけではありません。翻訳された様々な国の本も読んでます。深く同意すること多、でありました。それらの本で得た知識を、自分の講演や講義の席で援用しています。でも古典も外国の本もどちらも、現代語訳、日本語訳です。原文や原書で読んでいるわけではありません。
 あるとき、受講生から質問を受けます。「先生、その話は、私が読んだ本と違っています。全く逆のことが書いてありましたよ・・どちらが正しいんでしょうか?」もしこのときその本を原書で、あるいは原語で読んでいれば、自信をもって「どちらが正しい」と言えることでしょう。でもそうでない以上、答えられません。
 翻訳は、必ず仲介者が介在します。悪意はなくても意訳や、誤訳があることはさけられません。あなたが、講演や講義などをする人の場合、その講演は多くの人に影響を与えることになるのです。社会的な責任があります。不用意な知識の援用が、九死に一生を得た、あなたの、社会的地位を抹殺することになりかねないのです。
 また、講演なんてしないもん、というあなただって、自分の周りで正しい知識、正確な情報に基づかない会話をしていては、やがて友人の信頼を失っていく。一人になっては生きてはいけないでしょ。また、他の人から聞かされた知識に対して「ほんとうにそうなのかしら」と思ったとき、自分で原典にあたって確かめることもできます。
 人の言葉によらず自分で考え、自立して「生きていくために」も語学の知識は欠かせません。

 古文、漢文、外国語を学ぶのは、自分の知識に確証を与え、社会人として責任を全うし、社会的に抹消されないために必要なことです。ただ、コミュニケーションをとるだけだったら、今頃死語の世界の古語を学ぶ必要なんてない。

 愛する人を守るため、生きていくため、そして殺されないために「勉強する」のではなかろうか。知識は使うため、使うのは生きるため、生きるのは人のため、デスヨ。

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