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クロワッサンとシンバルとモーツァルト:前編/ぶらきぼう
 クロワッサン・・ といえば、もちろん、パンです。意味は、フランス語で「三日月」のこと。英語では「クレッセント」といいます。 どうして、クロワッサン=三日月なんてパンができたのか? これは、まさに今の国際情勢にも関係しております。 西欧(西ヨーロッパ)は、古代ギリシャVS古代ペルシャの「ペルシャ戦争」以来こ のかたずーっと東方からの 脅威におびやかされ続けとります。フン族の西進、アッチ ラ大王の蹂躙、イスラム帝国の圧力、そして最大の悪夢、 モンゴルの攻撃・・・など など。
 最近では (といっても、300年前ですが) オスマントルコの攻撃でしょう。 音楽隊を先頭にむちゃくちゃ強いトルコ軍は、ハプスブルク王朝の都ウィーン (西ヨ ーロッパの象徴)に2度にわたって迫り、西ヨーロッパ全土を恐怖のどん底に陥れま す。 ところが、 第一回目は、当時宗教戦争まっただ中にあった不倶戴天の筈のカトリック とプロテスタントが一時休戦までして、 また第二回目は、オーストリア軍、プロシア 軍、ポーランド軍の連合軍のみならず、一般市民までが武器を手に 立ち上がり一致団 結してトルコ軍に立ち向かい、奇跡的にトルコ軍をウィーン陥落寸前で追い返すのです。
 このとき トルコ軍は難攻不落のウィーン攻略に業を煮やし、なんと城壁の下にト ンネルを掘って地下からウィーンを 攻める、という奇策を敢行します。しかし、ある 早起きのパン職人が地下から奇妙な物音が聞こえてくるのをウイーン 軍に通報し、危 機一髪でこの危機を脱します。(蛇足ですが、このとき退却したトルコ軍のテントあ とに、奇妙な形を した豆が残っていました・・そうです!コーヒーの豆だったので す。これより後、コーヒーが西ヨーロッパに拡がって 行きます。ウィンナコーヒーとは、実はコーヒーはウィーンから始まった、という意味との説もあるんですよ。)
閑話休題

  二度にわたる、チンギスハーン 以来の東方の強敵トルコに対するやっとこさの勝利・・遺伝子的に東方コンプレックスの塊である西の喜びようといったら、 ほんとに もうお祭り騒ぎでありました。 そこで、オーストリアの首都ウィーンではトルコ撃退を祝って、なにか作れない か、 と思ったわけです。そこで、ウィーンの危機を救ったパン屋に白羽を矢が立ちます。 そのパン屋が皇帝に献上する ために作った三日月をかたどったパン、これがクロワッ サン。 なんで? トルコの国旗には三日月があります。これを かたどったパンを食って、「ワーイ!わしら、トルコ喰ってやったんだかんね!いい気味だ、ざまぁ、みぃ!」ってな わけです。
 ところで三日月マークは、トルコだけ ではありません。イスラム教の国旗にはほとん ど、三日月があります。
 なぜか?これは、洞穴で瞑想にふける40歳 のムハンマド(フランス語でマホメット)にある 夜、大天使ジブリール(英語ではガブリエル)が降りてきて、「神の 教えをのべつた えよ」と啓示します。イスラム教誕生の瞬間です。 この夜が、イスラム暦ラマダン月の3日目・・ イスラム暦はもちろん太陰暦なので、 この日、洞穴を出てムハンマドが見上げた砂漠の夜空には三日月が皓々と輝いて おり ました。そこで、イスラム教徒にとっては、三日月はまさに聖なる夜、その象徴とい うことになります。国旗に印 すわけはここにあります。 逆に、キリスト教徒にとって、クロワッサン=三日月を食う、ということは、「イスラムを 喰う」ことになります。 なので、トルコ人に「クロワッサンでも食うてみるかい?」なんて言うと「われ!喧嘩売っ とんのかい!」ということになるので気をつけましょう。
 キリスト教のシンボルは十字架... 英語では「THE CROSSS」CRつながりで「THE CROSS VS THE CRESCENT」といえば、まさに「キリスト教対イスラム教」 になります。
 我が国ではご存じのとおり太陰暦であった江戸時代まで、庶民は暦なしでも、今日は 何日か?は、 晴れている限り、月をみればすぐわかりました。
 現在でも太陰暦を採用しているイスラム教徒は、今日は何日か? はいまでも空を見ればすぐにわかるわけです。
 「 三日月を とってくれろと 泣く子(ブッシュ)かな 」  〜 酔狂亭 。
 ところで、ドラムのセットに欠かせない シンバル・・これになにやら、イスラム系の 文字らしきものが書かれているものが多いことにお気づきの方がいらっ しゃるかも知 れません。 実は「ジルジャン」とか「K―ジルジャン」とか書かれているものがそうです。いや ほとんど そうかも・・ これ、実はトルコ文字に似せたものなのです。 なんで、シンバルにわざわざトルコ文字風アルファベットが?
 トルコ、いやイスラム世界は、中世から近世にかけてのかなりの時期、世界の文化的 覇権を掌握していました。 僕ら日本人は、世界史でもあまり試験問題に出ないので、西欧の歴史ほどには深く踏 み込まず、すっ飛ばしていますが、 オスマン・トルコなど、アジアとヨーロッパの良 いとこどりみたいな、東西文化が見事にブレンドされた非常に高度に 洗練された文明 と文化をもっていたことを軽視しがちです。(横道にそれますが、世界三大料理って どこの国の料理 のことか知ってますか?フランス料理?中華料理?・・アタリです! それくらいは想像できますが、もう一つ・・ それがトルコ料理なんですよ!それくら いトルコには洗練と奥深い文化があるのです。そうやって世界地図を眺める と見事 に、その三カ国がユーラシア大陸の東と西とその中間を地理的に占めていることに改めて気づかされます。)
 また中世における西ヨーロッパは、 1000年以上もカトリック教会の支配下にあったため、ギリシャ・ローマ文化は否定されていた(古代ギリシャ といえば古代インド と並ぶ哲学発祥の地ですが、哲学とは「すべてのことを、まず疑う」ことから始まります。 それにひきかえ宗教は「何も疑うべからず、すべて信じる」ことから始まります・・カトリック教会が古代 ギリシャと、そのギリシャを征服した後も、ギリシャ に対してだけは文化的崇拝を怠らなかった古代ローマを 必死で否定しょうとしたのも むべなるかな・・ちょっと前のショーン・コネリー主演の映画「薔薇の名前」 もこのことがストーリーのベースになっていましたね)ので、学問も文化も発展しませんで した。その代わりに というわけではありませんが、イスラム文化圏と東ローマ帝国 (ビザンチン帝国)においてこそ中世における文化は 華麗に花開いていたのです。中でも錬金術は、トルコ&アラブ文化圏で盛んに研究されました。また、音楽も楽器の 製作技術と共に発展しました。その両者の融合こそが、実はトルコ軍だったのです。
 トルコ軍がトルコ行進曲にのって 優秀な金属で製造された武器を伴って進軍してくる と、西ヨーロッパの人々は恐怖に震えたといいます。 南ドイツでは、子供がむずがる と「トルコ軍がくるぞ!」というと子供が泣きやむとさえ言われてました。
 その音楽(特に行進に欠かせないリズム)と錬金術の伝統の象徴が、17世紀初め に、イスタンブールの金属加工職人 アヴェディス・ジルジャンによって発明された新 合金を使った、まさに世界的特許ものの、いわゆる「ジルジャン・ シンバル」の誕生 だったというわけです。 その伝統的製法によるシンバルにトルコ文字風のロゴが付されていたのには そういう歴史があったわけですね。

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