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の「ノリ」は海苔ではありません。われわれ音楽ギョーカイ人がよく口にする「ノリ」ってやつのことです。 仕事がら、リハーサルを見る機会があります。実はアマチュアやデビューしたてのバ
ンドやシンガーほど、テンポがなかなか決まらないとき、最後は「ノリが出ればいい
んじゃない?」とか「やってる方が気持ち良くないと、伝わんないよねぇ・・だから
少しくらいリズムが走ってもいいんじゃない?」とかのセリフでリハを切り上げると
ころを目撃することが多いのです。逆にこれがベテランになればなるほど、「もう一
丁!」とか延々リハを繰り返すことが多い。
これは何を意味するのだろうか? |
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曲には、その曲が求めているテンポというものが必ずあります。不思議なことに、
これは必ずしも作曲した人が指示したテンポと、その曲が求めているテンポとがあわ
ないところが面白いのですが・・思うに、曲は生まれてくると楽曲自らが、作曲者の
手から離れて、最も気持ちの良いテンポというものを自発的に求める別の生き物にな
るからでしょうね。また、その楽曲は、その時々で気持ちいいテンポが気まぐれに変
わる気分屋さんでもあります・・つまり、再現するメンバーの数やキャラクター、楽
器の種類、またライブの目的や会場の雰囲気などでいくらでも変わるものなのですね。 |
回は♪=100でジャストテンポだったのにアコギとパーカッションで再現するこ
とにした途端、♪=70がジャストになったりする・・まさに再現芸術といわれる音
楽の不可思議かつ「いとおかしき」魅力でもあります。
なので、その曲がその時に求めているテンポを演奏者は必死で探さなきゃならない。
でもこれが大変な作業・・曲が「今日の僕は♪=80が気持ちいいんだよ」とか喋っ
てくれればいいんだけど、言葉は発しないからね。ベテランはこのことをよく知って
いて、必死で探そうと、そのときどきのメンバー総出でリハを繰り返しているのでは
ないだろうか? |
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はそれますが、クラシック・・例えばベートーベンの「運命」、このCDは無数
に発売されていますが、ベートーベンの楽譜に指定されたテンポ通りに演奏されてい
るものは皆無なんですよ。それで以前一枚だけ指定通りのテンポで演奏したCDが出
たのですが、つまらないこと、つまらないこと・・不思議な体験でした。) |
を戻しましょう。そしてなんとかその曲にあったテンポを見つけてもそこでリハが終わるわけではない。
今度は、いつでもそのテンポが同じテンポで出せるまで、繰り返し繰り返し、からだ
に染み込むまで何度も練習する・・それがベテランのリハ。 |
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れに引きかえ、アマチュアのリハは「ノリ」とか「グルーブ」とか「味」とかで何
とかしようヨ、または何とかなるサ、それらが出なかったら「まっ、失敗っちゅうこ
とで・・」という括りであるように思います。まるでそれらがいつも舞台に降りてく
ると信じているかのように。 |
はベテランのライブには「ノリ」はないのか?といえば、それはあります。またノ
リやグルーブという存在もよく知っています。いつもそれらが舞台に降りてくるよう
に願ってもいます。いや、だからこそジャストなテンポを求めるのです。
充分に積まれた訓練のもとにある絶対的なテンポ・・だが所詮機械やメトロノームが
演奏するわけではない、舞台の上に生まれる、ある空気が、それら絶対的であった筈
のテンポに微妙にバイアスをかけ始める。どのように変化するのか、それは始まって
みないとわからない。もしそれがシンガーの舞台であれば、それを最も敏感にキャッ
チして表現するのがシンガーの「歌」です。絶対であったテンポが微妙に息をし始め
る。時に大きく、また小さく。そのリズムの上に「のる」シンガーの揺れ動くココロ・・
それが文字通りの「のり」です。
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して、リズムに「のった」シンガーの歌のココロ
が観客にも伝わり始める。そこではじめて、演奏者の上に歌が、さらにその歌の上に
観客の心が乗っかっていく・・その三階建て構造こそが「グルーブ」です。家を建て
るとき屋根から建てる事などあり得ない。三階は二階がなくては存在できず、二階も
一階がなければありえないように、最下層を支えるのがテンポなのです。だから、リ
ズム隊の中でもドラムとともにリズムを支える一方の雄「ベーシスト」・・地階のこ
とを英語で何というか知っていますか?「ベース」メントです。
究極のところ、しっかり支えようという意思なきベースメント(絶対テンポ)の上に
載っているものは文字通りの砂上の楼閣です。そこに生じる「揺れ」はグルーブなん
てもんじゃなく、たんに瓦解に向かう破壊の震動でしかないのです。 |
イブの出来には4種類あります。
1. 演奏者も観客もどちらも気持ちがいい。
2. 演奏者は気持ちがいいが、観客は気持ち良くない。
3. 演奏者は「気持ち良くないが、観客は気持ち良い。
4. 演奏者も観客もどちらも気持ち良くない。 |
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は論外だとして、勿論ミュージシャンたるもの、みんな最初は1.を目指しますよね。
でもなかなかこれは難しい。で、次に目指すもの・・それが2であることが多い。でも
それは間違いだと思います。「えっ!なんで?演奏者が気持ちよくなきゃ気持ちが伝わら
ないでしょうに!」
確かにそう言う声が多い。でも2.がもたらすもの、それがアマチ
ュアがよく侵してしまう「自分たちが気持ちよければいいんだから、多少リズムが走っ
てもよい」を誘発するのです。聴いてる方からすると走られることほど、聞き手の心を
イラつかせるものはないと知るべきです。だったらまだ、遅くなってくれたほうがまし。 |
ょっとクサイ話だけど、落語家とかのお笑いの人がよく、家族が死にかけていても高
座では客を笑わす、とかの美談めいた話をきいたことがあるでしょう。演じ手は決して
気持ちがいいわけではない、むしろ心の中は穏やかではない、でも演じ手の家族が病気
であることは、お金を払ってききにきている客にとっては関係ない。それと同じです。
もし、あなたが「プロフェッショナル」を目指すのなら3.を目指さねばならない。で
もどうすれば3,ができるのか? |
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前、「ポップス再生」という稿でこう書きました。
「ポップスはサーカスに例えられるかもしれません。つまりどんなに運動神経にすぐ
れていたとしても、訓練なしでは決して命綱なしの綱渡りができないように、あふれる
ような才能に血の滲むような訓練が足されてはじめて、世に"軽業"が出現するというわ
けです。勿論観客にはメイキングオブのつらさや舞台裏の苦労のあとなど、微塵も見せ
ません。大いなる才能と気の遠くなるような努力の果てにある喝采・・それがポップス
の醍醐味です。」と。 |
の滲むような訓練と、恐ろしく単調な鍛錬からしか、「ノリ」も「グルーブ」
も生まれないんです。
前回の「語源から読み解くアマとプロ」も、もう一度読み返してください。 |