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「ポップス再生」 / ぶらきぼう
 POPとは、英語で「はじける」の意味があります。ポップコーンなんて、まんま、です。もちろん、音楽史的には、ポピュラーミュージックを略して、ポップミュージック・・さらに、単にポップスというようになった、とつまらん説明が、ついとりますが。
 でもイメージ的には、「はじける」音楽の方が合っているように感じられますよね。
 特に「ポップス」と言った日にゃ、あーた!・・はじけるしかないっ!
 いま、ポップス受難の時代と言われています。確かに、シブヤ系以後、日本でのポップスフィールドは壊滅的に見えます。レコード会社も「ポップスはねぇ・・」と二の足を踏んでいます。探しているのは、バンドやラップばかりで、痩せさらばえたポップフィールドを耕すこともなく、荒れ放題。
 ポップスから受けるイメージは何でしょう?人それぞれでしょうが、「しあわせなカンジ」、「明るいイメージ」「楽しい雰囲気」というのがあるでしょう。あんまり「しんみりしたかんじ」とか「激しい慟哭」とか「不安への叫び」「行き場のない怒り」などといったイメージを「ポップス」に求める人は少ない。それらがお望みの方は「ロック」へどうぞ、といったとこでしょう。
 ポップスというとアメリカが本場で、これまたあまりヨーロッパというイメージでもありません。シルビー・ヴァルタン、ミッシェル・ポルナレフはわざわざ、「フレンチ」ポップスといい、ウィルマ・ゴイックやジリオラ・チンクエッティは「イタリアン・ポップス」といいます。
 とくに日本人の場合、オールディーズとも重なる、50年代から60年代初頭のアメリカン・ポップスを思い浮かべる人がほとんどでしょう。ニール・セダカ、ポール・アンカ、コニー・フランシス・・・などなど、ロケンロールの王様「エルビス・プレスリー」の登場まで、僕らの洋楽はまさに、この時代のポップスでありました。
 しかしながら、ベトナム戦争の泥沼化に連れて、ポップスはすたれロックへと傾斜を深めていきます。この時代のポップスのあだ花とも言える「カーペンターズ」・・でもカレンの声は、もはや純粋培養の、平和な時代のポップスボイスではなく、そこには、戦争の時代への哀愁とあきらめが映し取られています。
 ところで、なぜ、第二次大戦後すぐに、この、幸せこの上ない、ポップスがアメリカに生まれ、ヨーロッパには生まれなかったのか、といえば、一人アメリカのみが、大戦の直接の被害をほとんど受けなかった(日本軍による屁みたいな風船爆弾のみ)のに比べて、ヨーロッパは殆どの国が爆撃を受け、戦禍にまきこまれなかった国は一つとしてなく、戦後も長い期間、ひたすら国土復興にあけくれる日々の連続であり、とてもリーゼントで頭を固めた若者が車にのって、映画をみながらデートするという「良きアメリカ」のような状況でなかったからでしょう。アメリカは、ヨーロッパの復興を支援すればするだけ豊かになっていった時代です。つまり、余裕がアメリカに「ポップス」をもたらしたといえるでしょう。
 逆にいうと「余裕」がうまれないとポップスはうまれにくいといえるかもしれません。逆説的に、「余裕がない、暗い時代こそ、ポップスが求められる」という意見もあります。どうなんでしょうね。はたして今の日本にポップスが再び生まれるのでしょうか?
 ぼくには、日本のみならず世界的に、こんなに暗く、不安な時代もかつてなかったように思います。昔から冷戦はあったし、子供心にキューバ危機は怖かったし、不安はいつの時代でもあったことでしょう。でも今は、何故不安なのかが見えにくくなっている分、不安の質が複雑で解明しにくいといえるのではないか。貿易センタービルの崩壊はその象徴でした。実にポップスが生まれにくい状況だと思います。
 ところで、ポップスは余裕がないと生まれない、と書きましたが、音楽的には、高度に洗練された技術や熟練を要する技巧(「センス」と「品格」と言ってもいいでしょう)も必要とされます。ポッと出のミュージシャンには、とても醸し出すことはできません。作ったとしても、人を、心から楽しくはさせてくれません。つまりポップがはじけるためには音楽を一旦、極限までふくらませる能力(熟練)が必須なのです。そして、そのぎりぎりのところで、「ポン」と針でつついてはじけさせる(決して爆発させるのではない)そのぎりぎりの技(洗練=センス)がどうしても必要・・逆に洗練や熟練から遠いところにあるポップスほど情けない音楽はないと思います。少なくとも僕には無用の音楽です。ポップスはサーカスに例えられるかもしれません。つまりどんなに運動神経にすぐれていたとしても、訓練なしでは決して命綱なしの綱渡りができないように、あふれるような才能に血の滲むような訓練がたされてはじめて、世に"軽業"が出現するというわけです。勿論観客にはメイキングオブのつらさや苦労のあとなど、微塵もありません。大いなる才能と気の遠くなるような努力の果てにある喝采・・それがポップスです。バンドは、ポッと出のアマチュアバンドでもなんとかさまにはなるがポップスは、なりません。
 現在、日本の音楽業界に、この熟練者が活躍できる場所は皆無です。年齢的には40歳から50歳前後のミュージシャンの世代に相当する筈です。まさにこれらのミュージシャンは不遇をかこっています。もったいないことだ。
 時代はポップスを求めていないように見えます。しかし、そうでしょうか?
 不安を抱える子供達は、もはやメロディを楽しめる余裕はないです。だからメロディレスにも思える、ラップやヒップホップに我を忘れたいのかもしれません。かれらにポップスを聴かせる必要はありません。だから気にしなくともいいのです。大人、シニア、アダルト・何とでも呼びなさい!おれたちのための音楽(えーい、めんどうくさい!ぜーんぶひっくるめてポップスと呼んじゃぇ!)を俺達の世代で作って、俺達の世代だけで楽しむんです。
 でも僕らの世代(別名リストラ世代)にポップスを楽しむ余裕があるのだろうか?ありますとも。僕らはもうあと10年か20年生きればいいんです。多分、なんとか、ひどい末法の世を迎える前に、ギリギリあの世に逃げ込めるでしょう。ざまぁみろ!あとは、楽しんで行(逝)(往)きまっしょい!ポップスでもききながら・・・どうせ死ぬ だけですもん。ポップス万歳!

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