その日の事をマネージャーの長門は後日こう語っている。 「演奏が始まって、緞帳が上がって、歌い出した瞬間の胸高鳴る気分は、生まれて初めて 味わうものだった」 演奏曲目はアンコールも含め全11曲。 1「SHOW」2「それでいいさ」3「想い」4「夏の終りに」5「時の始まり」6「風の 吹く日」7「指切り」8「SUGAR」9「港のあかり」10「Come Go With Me」11「Endless Night (Do You Wanna Dance)」 長崎で初ライブをやった時から3曲増えた。 ライブ中のMCで山下はとんでもない事を話し始める。なんとその年に発売された洋楽 アルバムのベストテン、ワーストテンを発表するというのだ。新人バンドのする事ではな い。山下のコンサートにかける意気込みがそうさせてしまったのだろう。 このとき客席にいた大瀧詠一の感想を記す。 「あのワーストテンは面白かった。レオン・ラッセルのをひどいって。デビュー・コンサ ートでそんなこと言う人いるのかって、話しながら銀次と福生まで帰ったんだけど、その 話でもちきりだった。こりゃすごいって」 ともあれ音楽関係者や評論家達に「演奏技術はまだまだだが、曲のセンスやボーカルは 面白い」との印象を与えてコンサートは無事終了した。 コンサートを終えたメンバーは、今では当たり前のように行われている「イベント終了 後の打ち上げ」もせず、まっすぐに帰宅する。意外と思われるかもしれないが、けっこう そんなバンドも多かった時代である。 数日後、はっぴいえんどが所属していたプロダクション風都市が長門に接触してきた。 月給としてメンバーそれぞれに4〜5万円、長門に8万円出す。経費も出る。そういう条 件で風都市に入らないかと。 以前にも長門は風都市に誘われたことがあった。はっぴいえんどの解散コンサートの後 しばらくしてからの事だ。マネージャーとしての資質を買われたのだろう。そのときは長 門個人の引き抜きだったために断ったのだが、今回はバンドと一緒の誘いである。 長門はメンバーと相談した後、承諾すると返事をした。 翌年1月1日をもって長門とシュガー・ベイブは正式に風都市に入社することになる。 ちなみにこの年の公務員初任給は7万円強であった。 こう書くと、おっやったじゃん!給料貰えるなんてシュガー・ベイブ恵まれてる〜、な んてお思いだろうが、あにはからんや、弟はかってぎっちょんちょん(お〜い、古すぎる ぞ〜)。この給料は一度として支払われる事はなかったのである。 このころ風都市は企業としてすでに末期症状にあり瀕死の病人のようであった。ついに は74年春から初夏にかけての間には倒産することになる。 そんな末期症状にありながら、とりあえずは生きている状態の会社に在籍することにな ったシュガー・ベイブに1974年の正月がやってきた。 「開けましておめでとうございます」 雑談をしていた野口と鰐川に大貫は正月の挨拶をした。 「やぁ、おめでとう」 「おめっとさん」 「ター坊は正月何してたの?」 「う〜ん、元旦は山下君と村松君とで初詣して、あとはお餅食べてた。そういう鰐川君 は?」 「うん、正月はバイトないから久しぶりにのんびりできたよ」 「しっかし、ター坊はよく喰うよね、ほんと」 「こら野口。そういう事はレディにたいして言う言葉じゃありません。いくらほんとの事 とはいえ」 「あ〜あ。あんた達、同罪だわ」 そこへ山下と村松が到着して、また新年の挨拶と正月の話題に花がさく。 ここは風都市が契約している新宿の貸しスタジオ。所属のミュージシャンはここで週に 数回リハーサルをすることができる。シュガー・ベイブもようやくN宅周辺に騒音公害を 出さなくて済むようになった。 「ちゃんと防音されてるスタジオで音を出せるのはうれしいなぁ」 「そうそう。Nさんとこ借りられるだけでも恵まれてる環境だっていうのはわかってるん だけど、やっぱり母屋や近所に気兼ねしてたもんね」 「これからは思いっきり練習できるぞー!」 誰しも思うことは同じだったろう。 「みんなもこの前のソロコンサートで痛感したと思うけど、僕らはまだまだ演奏技術も未 熟だし、曲も少ない。だから新年の2、3ヶ月の内に集中的に練習をかさねてレベルアッ プを計らないと。そのためにもこの新しい練習環境はもってこいだ。やるぞー!」 「おー!」 山下が新年の決意表明をする。 「とくに村松君」 「はい」 「ソロをもう少しどうにかなんないかな」 「はい」 「野口」 「はい」 「あいかわらず、もたったり、走ったり」 「はい」 新年そうそう注意事項がえんえんと続く。 正月気分は吹っ飛んだ。 |