Chapter three : twentieth episode



 12月に入りバンドはソロコンサートのための最後の仕上げ段階になってきた。
 今まで以上に集中してリハをするためにサーフィン・ラビット・スタジオに泊まり込み
の日が続く。
 夜の8時を過ぎるとさすがに大音量でのバンド練習は出来なくなるので、いったんブレ
イクする。普段はこの後ドラムもアンプも使わず小さな音で練習を続けるのだが、この日
は鰐川の都合で切り上げることにした。
「僕は今日これからバイトだから、お先に失礼するよ」
 鰐川が言うと、大貫が続く。
「私も今日は帰るわ。そろそろ車を返さなくちゃいけないし」
「ター坊が帰るんだったら、途中まで乗っけてってもらおうかな」
 と、野口が便乗する。
 このころ大貫は実家からスバル1300を借りて成増まで通っていた。家までの道のり
に環七を使えば、野口の家のそばを通ることになる。
「いいわよ、通り道だし」
「じゃあ僕は駅まで乗せてってくれる?」
 鰐川は遠慮しながら言った。

「さすがにもう食料があんまり残ってないや」
 3人が帰った後、飯にしようと冷蔵庫を開けた村松は、からっぽの庫内にがっかりする。
「でも買い出しに行くのはめんどくさいから、昨日の残りでいいんじゃないの」
「そうだね。まだフランスパンも1本手付かずであるし」
 きのう圧力鍋で大量の野菜を煮込んだポトフ(肉が入ってないので、ポトフのような物
といった方が正しいか)の残りを温め直し、フランスパンにバターを塗って山下と村松は
食事を始めた。
「ただいま」
 そこへNが学校から帰ってくる。
「はい、これ。差し入れ」
 テーブルワインが2本とケンタッキーフライドチキンが二人の前に出される。
「わお、ありがたや、ありがたや」
「Nさん、サンキュー」
「いや、そろそろ食材も切れるころだと思って。あ、そのポトフ僕も貰っていいかな」
「もちろん。寒い季節にはこれが一番だよね」
 食卓の上は一段と豪華になった。

 食事が終わると、Nは勉学の疲れから、山下と村松は連日の練習の疲れから猛烈に眠く
なってきた。
「今日はもう寝よう」
 そう言ってNは隣の部屋のベッドにさっさともぐり込む。
 残りの二人は洗い物を片付け、隣の部屋の隅から布団をひっぱりだしてベッドの横にな
らべて敷く。
 いざ布団に入ると、その冷たさに山下はさっきまでの眠気が吹き飛んでしまった。
 ベッドで寝ているNはもう寝息をたてている。
「ちぇ、冷たくて寝れないや」
「あのさあ、どうして村松君はギター弾いてるの?」
 布団の中で目が冴えてしまった山下は隣にいる村松に話しかける。
「どうしてって、クマが決めたんじゃない」
「そういう意味じゃなくって・・・ギターを弾くってどういう事?」
 山下の抽象的な問いに村松はとまどう。
「・・・なんていうか・・・。官能かな」
「官能?・・・それってえっちな小説とかの官能?」
「その官能じゃなくて。・・・ライブでソロとか弾いてて盛り上がって来ると背中がゾク
ゾクってなるじゃない。それが官能なんだよ」
「ふ〜ん、そうかぁ」
「・・・」
「あのさあ、マイナーってどうして悲しく感じるんだろう」
 山下の抽象談義はつづく。
「それは・・・」
 村松は答えられない。
「どうしてマイナーは暗く悲しくて、メジャーは明るく楽しいのか。不思議に思わない?」
「そんな事聞かれてもわかんないよ」
 この疑問は山下の音楽に対する姿勢、いやもっと根源的な感性の奥深さを示しているの
かもしれない。
 村松は改めて山下の才能に感動した。
「でも、どうしてそんなこと疑問に感じたの?」
 村松がそう聞いたとき山下は静かに寝息をたてていた。