Chapter three : thirteenth episode



 9月21日はっぴいえんど解散ライブ当日。シュガー・ベイブは昼過ぎに楽屋入りした。
山下、大貫、村松はコーラスのために。野口、鰐川はパーカッション部隊のために。
 全員緊張している。長崎のときよりひどい。東京でやる大舞台のせいだろうか。ことに
村松は極度の緊張のため、下痢と吐き気がとまらない。
 そんな中どうにかリハーサルをこなし本番が始まる。
 蓋を開けてみれば、それまでの緊張がうそのようにコーラス隊もパーカッション部隊も
大活躍で、大瀧詠一&ココナツ・バンクのステージを盛り上げた。なかでも後半シンガー
ズ・スリー(当時、日本屈指の女性コーラスグループ)を迎えた合同コーラス隊の活躍は
大好評だった。しかしこのコーラス隊の評判がしばらくはシュガー・ベイブをしてコーラ
スグループとの誤解を定着させることになる。
 ステージを終え楽屋でぼーっとしていると、はっぴいえんどの演奏が始まった。
 はっぴいえんどの最後のステージである。
 メンバーは楽屋をとびだした。
 後部ドアから客席に入り、人をかき分け中程まできて立ち止まった。
 山下は食い入るようにステージを見つめている。何を想っているのだろうか。
 大貫もまた同じように見つめている。
 ステージでは鈴木茂がレズリースピーカーの前でギターを揺らしている。
・・・何をやっているんだ・・・
 村松は疑問に思った。
・・・まさか回転するスピーカーの風圧でギターの弦を振動させている?・・・
・・・そんな馬鹿な・・・
 いや、たしかに茂はギターを弾いてはいない。ただレズリーの前にギターをかざして揺
らしているだけだ。それでも微妙に音は鳴っている。ギターは揺れながら鳴っている。
 12月の雨の日が始まった。
 茂は通常の立ち位置に戻った。
 ギターの音はまだ揺れている。だが別種の揺れだ。
・・・なんでだ。なんでまだ揺れてるんだ・・・

 数日後、山下、大貫、村松の3人は渋谷のライブハウス「ジャンジャン」の前にいる。
「え〜!ここにスタジオがあるの〜?」
 村松が素頓狂な声をあげる。
「そうらしい」
 と、山下。
「ここって、僕が前にブルース・クリエーションをよく見に来てたお店じゃない。知らん
かった」
「まあとにかく入ろう」
 半地下を降りてゆくとジャンジャンとは別のところにスタジオの入り口があった。
 二重のドアを開けると大瀧がミキシングコンソールの前でなにやら作業をしている。
「おはようございま〜す!」
「おっ、意外と早かったな」
 そう言いながら山下にコード譜を渡す。
 ジーガム30秒と書いてある。
「ジーガムのところは字ハモであとは白玉かな。何回かオケ流すから」

 文京公会堂でのコーラスワークが好評だったためCMでのコーラスを頼まれたのだ。
 狭いスタジオだが、初めてのプロのレコーディングスタジオ。
 雑誌や映画などで見た事があるだけのプロ用機材がわんさとある。
 マルチトラックのレコーダー。ミキシングコンソール。大型のモニタースピーカー。そ
のほか何に使うのかわからない機材。機材。機材。
 山下はちょっと興奮する。
 村松は大いに興奮する。
 大貫は・・・興奮しない。
 オケを聞きながら山下はボイシングを考える。
・・・Bタイプの方はいいけど、Aタイプの方はやけに16分のシンコペが多いな・・・
・・・村松君とター坊にはちょっと荷が重いかな・・・
 案の定コーラス入れは難航した。
 ボイシング的には難しくないのだが、やはり16分のシンコペがネックだ。なかなかリ
ズムが合わない。
 山下は懸命になって二人に16分シンコペのとり方を教授する。
「だから、チキチキ・チターンのタのところで歌うんだよ」
 1時間以上も押してコーラスは終了した。
 帰り際に村松は恐る恐る聞いた。
「あの、大瀧さん」
「ん?」
「この前のコンサートのとき、鈴木茂のギターの音が微妙に揺れていたのはどうしてです
か」
「あ〜、干し芋マシンだよ」
「2号だったかな。茂の自作エフェクターだ」