Chapter three : seventh episode



「でも、楽器持たないで移動するのってすごく楽だね」
 鰐川は人の話を聞かない。
「そうそう僕なんかいつもしんどくてさ」
 と野口がまぜっかえす。
「なに言ってんの。野口君なんかほとんど手ぶらじゃない。持ってくるのっていったら、
せいぜい菜箸のお化けみたいなのだけじゃん」
「いや、あの菜箸のお化けが重たくてさ。純金なんだよね〜、これが。あっはは」
 今の時代ではアマチュアバンドのドラマーでさえスネアとフットペダルぐらい持参する
というのに、この当時のドラマーはほんとにスティックしか持っていかなかった。ちなみ
にギター類はまだソフトケースが開発されておらず、ギタリスト、ベーシストは重くかさ
ばるハードケースでの移動を余儀なくされた。
「ギター持たないと楽でいいけどさ、なんか心細いね。アイデンティティーがなくなった
みたいで」
 と、村松。
「ひゃあ〜。村松君、ギターを侍の刀といっしょにしてる。時代錯誤!」
「いいじゃんか。ほんとなんだから」
 そんな他愛もないことを話してるうちに、窓の外を流れる景色はいつの間にか夕闇につ
つまれていく。
 遠くの方をゆっくり動いてゆくネオンサインをぼーっと眺めながら、村松は去年の夏を
思い出していた。
・・・去年の今頃、Nさんから電話があって・・・
・・・遊びのつもりでバンドごっこしてたのに・・・
・・・気がついたら会社もやめて、長崎へ演奏旅行だなんて・・・え?なに。なんか言っ
た?
「あのね、車組はもう長崎についたかな、って言ったの」
「ごめん、ワニ。ちょっとぼーっとしてて」
「昨日の昼過ぎに東京を出発して、神戸からフェリーに乗ったはずだから、いくらなんで
も今日の昼頃には長崎に到着してるんじゃないの」
 と、心ここにあらずの村松にかわり、野口が適格な判断をする。
 ところが実際に車組が長崎に到着したのは、まさに野口がしゃべっているその頃である。

 山下たちの乗ったフェリーは列車組が東京を離れるその日の朝、門司港に到着した。
 一行はフェリーを降りるとただひたすら長崎まで車を走らせるはずだったのだが、途中
昼過ぎに唐津あたりにさしかかると
「天気が良くて気持ちいいけどちょっと暑すぎない?」
 と、スカイラインを運転している山下が言う。
「まぁこの車エアコンついてないからね。でも窓全開で走ってるから」
 と、助手席の長門。
「あっ、ほら、あそこに海水浴場って看板があるよ」
 後部座席の大貫が指をさす。
「グッドタイミングだなぁ。暑い中運転しっぱなしだから、海に飛び込んだら気持ち良さ
そう」
「え〜?水着とかどうすんのよ」
 困惑したようすの長門。
「えっへへ。ちゃんと用意してあるんだもん」
 どうも山下と大貫は初めからそのつもりだったようだ。
「ちゃっかりしてるなぁ。じゃあひと休みして、唐津の海にざっぶ〜んするか」
 で、3人は車を停めて海の家に入る。
 さっそく水着に着替えた山下と大貫は唐津の海に向かってダッシュする。
 真夏の太陽に照りつけられた砂浜はやけどしそうなくらい熱い。
「アツッツッツッツ」
 大貫は熱い砂浜を突っ切るのが苦手だったから、スピードがどんどん上がる。
 熱いものを食べられない事を猫舌というが、こういう場合は猫足というのだろうか。
 水着を準備してこなかった長門は、海の家でレモンのかき氷を堪能している。
 しばらくすると山下ひとりが戻ってきた。
「あー、すいませーん。おでんひとつ」
 海で冷えた身体におでんは最高に旨い。
「あれ、ター坊は?」
「まだ泳ぐって。けっこうタフだね、彼女」
「ふ〜ん。ところでさ」
「はふ。何さ。はふ」
 おでんに夢中の山下は気のない返事。
「じつは、はっぴいえんどの大瀧さんから電話があって、アドサム聞いて気に入ったから
クマと僕とで福生に遊びに来ないかって」
「うぐ!?あぢ」
 突然の話に山下はこんにゃくを丸のみしてしまった。
「それで・・・?」
 長門は状況を説明し、話を聞いた山下は期待と不安で胸が高鳴る。
 大貫はまだ海で遊んでいる。
 けっきょく長崎に着いたのは街もすっかり暗くなってからだ。