Chapter three : sixth episode



「しかしなぁ、あの、夏の終りにのコーラスしんどいなぁ」
 鰐川はそう言うとコーラを一息で飲み干した。
「とくに楽器弾きながらの、時間差コーラスってのは難しいね」
 村松が相づちをうつ。
「そうそう、ウッ、ゲフ。失礼。楽器がシンコペーションでコーラスが拍の頭とかだと、
つられちゃうんだよねぇ。ゲフーッ」
「だから鰐川君ねぇ、コーラの一気飲みはやめなさいって。後がしんどいんだから。でも、
わたしもあの曲のコーラスは難易度高いわねぇ。けっこうテンションきついところあるし。
だからこそうまく決まったときの喜びも大きいわね」
 と、大貫の前向きな発言。
 この時の時間差コーラスのきつい練習が後のはっぴいえんどの解散コンサートで大きく
物を言うことになるだが、その事はまだ誰も知る由がない。
 一方、四谷のディスクチャートは春ごろ店の名前を「いーぐる」に変えた。
 思ったようには客足が伸びずそのままではじり貧だったので、思いきって路線をジャズ
に変更したのに合わせ店名も変えたのだ。
 そこには相変わらず長門の姿が見える。
 長門がシュガー・ベイブのマネージャーを引き受けた、といっても収入があるわけでも
ないので、ふだんは店でお皿を回している。そしてドゥーワー・スタジオという名前の名
刺をつくり、店の電話番号と住所を連絡先にしている。
 そこへはっぴいえんどの大瀧詠一から電話が掛かってきた。アド・サム・ミュージック・
トゥ・ユァ・デイを聞いて気に入ったのでよかったら遊びに来ないか、という話だった。
長門は、去年長崎ではっぴいえんどを招聘した大震災に、今年はシュガー・ベイブが出演
することを伝えそれが終わったら福生にうかがう、と言って電話を切った。
 長門は内心びっくりするほど喜んだ。「チャンスだ!」と。
「でもなぁ、どうして君たち3人が僕の車で長崎へ行くのよ。僕らは寝台車だっていうの
に」
 村松がぐちる。
「だって、それは村松君が長距離運転するのはイヤだからって、話がこうなったんじゃな
い」
 と、山下。
 東京での最後の練習を終え、N宅で村松のプリンス・スカイラインに楽器を積み込んで
いるところだ。
 長崎への移動は結局、交通費の都合で、車移動と列車移動のふた組に別れることになっ
た。車組は山下、大貫そして現地でのナビとして長門。かたや列車組は村松、鰐川、野口
の3人。
 村松がゴネていたのは不満だったからではなく、慣れない車で長距離運転をする山下を
心配していたのだ。
「まあね。とにかく気をつけてよ。とくに高速は。この車120キロ以上出すとシフトノ
ブが異状に振動するけど故障じゃないから。プリンスのミッションの、まあ悪いクセなん
だけどね」
「それから、タイヤはハイスピード・ラディアルに変えてあるから問題ないけど、あんま
りスピード出すなよ。安全運転で頼むよ」
 と、妙に親心の村松。
「分かってる。で、そっちが長崎に到着するときは駅まで迎えに行くから」
「オッケー、じゃあ、現地で」
 車組は一路長崎へ。

 翌日の夕方。東京駅のホーム。寝台特急に乗り込む列車組3人。
「僕、寝台車って乗るの初めてなんだよね。ちょっとわくわくしちゃう」
 嬉しそうに鰐川が言う。
「俺も初めてかな」
 野口はそう言いながら背をかがめて乗車口をくぐる。
「僕は2回乗ったことあるけど、そんなにいいもんじゃないよ」
 そう言いながら村松は学生時代に乗った寝台車の、いちばん上段の狭い寝床を思い出し
ながらみんなの後に続く。
 座席番号を確かめて席を見つけると、すでに寝台はセットされていた。
「わー、もうベッドになってる」
 またも鰐川は嬉しそうにはしゃぐ。
「あれー?この寝台は2段なんだ」
 村松はまわりを見回し、つぶやきながら鰐川の向いに腰かけた。
「村松君さぁ、2段じゃない寝台って、何よ」
 鰐川の横に腰を下ろした野口が疑問をはさむ。
「え〜、昔乗った寝台車は3段になってて、上の段はものすごく狭かったんだよ。夜中に
寝ぼけて起き上がると、天井に頭ぶつけてさ」