第二章:第二十三話



「今度新しいバンドを作ってプロになろうと思うんだ」
「・・・」
「で、村松君にも参加して欲しいんだけど」
「ちょ、ちょっと待って。プロになるってどういう事?」
 村松は眠気がふっとんだ。
「ほら、ディスクチャートの大貫さんているでしょ。彼女のバックをやろうと思ってさ」
 さらに山下は続ける。
「今年の夏過ぎには日比谷の野音に出るっていう話もあるみたいだし」
 そんな話はまったくなかった。これが山下が考えた作戦である。
 自分がメインのバンドの話をするより、半分プロになりかかっていた大貫をメインにし
て自分たちはバックバンドにまわる、という構想の方が村松を説得しやすいと考えた。さ
らにプロという事になれば、多少なりともギャラが発生するわけだから、村松に仕事をや
めさせバンドに専念させる事ができる、と踏んだのだ。
 そして事態が動き出してしまえば、あとは自分の力量でどうにでもコントロールできる
と考えていた。
「日比谷の野音かぁ・・・。でも、急にプロになるって言われても・・・。仕事もあるし
・・・」
 野音と聞いて村松の気持はかなり揺らいでいる。
 3年ほど前から日比谷の野外音楽堂(通称=野音)は内田祐也が伝説の10円コンサー
トや99円コンサートを開催し続けたことによって、ブルース&ロックの殿堂と呼ばれる
ほどになっていた。
 成増でのセッションが始まるまではそういうコンサートに足繁く通っていた村松にとっ
て「野音に出演できるかもしれない」という言葉は悪魔の囁きにも等しい。つまりは、も
のの見事に山下の作戦にはまってしまった、という事になる。
 しかしどんなに心が動かされても仕事との兼ね合いを考えれば簡単に決められるような
問題ではなかった。
「やっぱりすぐには返事できないな。しばらく考えさせてよ」
「オッケー。今日のところはここまでにしようか。まあ、じっくり考えてみて」
 村松が即答でノーの返事を言わなかったことで、山下は「村松は落ちる」と確信を持っ
た。

 家に帰ってからも村松はしばらくその事ばかり考えていた。
「プロかぁ・・・ギャラも出るわけだなぁ・・・」
 村松自身は学生時代に3回バンドでギャラの出る仕事をした事がある。
 1度目は、当時ダンス教室でおなじみだった中川五郎の経営するディスコに週に2回出
演することが決まった時だ。ところがこの時は、そのディスコではじめて演奏した夜の翌
日どういうわけか学校側にばれて大目玉を食らい、1回限りの出演になってしまった。
 2度目は某ビジネススクールの学園祭での演奏。
 3度目は学校の友人たちが主催したパーティー。
 だからギャラを貰ったといっても、あくまでもアマチュアの小使い稼ぎ程度の話だ。
「でもなぁ、どうやってギャラの出る仕事取ってくるんだろう。しかも継続的に」
 まさにここが問題だ。しかしその問いに山下は答えようとはしなかった。
 さらに村松は自問する。
「だいたい僕はプロでやっていける器なんだろうか」
 そう。こっちの方がもっと重要。現在の伎倆だけではなく将来にわたってプロとしての
技術やセンスや意志を維持していく事ができるか、が何よりも問題なのだ。
「まっ、いっか。なんとかなるか」
 村松の脳天気な行動様式はこの頃すでに始まっていた。

 1週間後、村松は山下に電話をかけた。
「もしもし、村松だけど」
「そう、この前のプロでやってくバンドの話さぁ、受けることにするよ」
「うん、で、仕事の方は3月いっぱいでやめる事にしたから」
「まぁ、どう転ぶかわかんないけど、賭けてみるわ」
 村松の加入が決まった。