第二章:第十二話



 2軒ある食事場のもう一方は港区は六本木にあるピクニックという店だ。板橋区を活動
の拠点とする彼等には珍しい。
 その頃の六本木は80年代バブル期以降しか知らない人間にとっては考えられないほど
静かな盛り場だった。
 花の女子大生やOLはいない。茶髪の十代もいない。もちろん客引きなんかいるわけも
ない。いるのは芸能人やスポーツ選手。作家、作曲家や映画監督などの自由業の人たち。
あるいは、なにやら怪し気な紳士淑女たち。そしてとりわけ多いのが外国人。
 六本木のメインストリートは北に防衛庁と米軍関係やスターズ&ストライプス社の建物
があり、南はソビエト大使館とアメリカンクラブに押さえられていたから、外国人が多い
のも当然だろう。
 バーガー・イン、ニコラス、スコッチ・パブ・・・。
 飲食店も外国人相手の店が多く、並の日本人は肩身のせまいおもいをする。ようするに
六本木という街は普通の暮らしをしている人々にとって、憧れはあるけど遊びにいくのは
ちょっとねぇ〜、というようなところだった。このあたりの事情は「東京アンダーワール
ド(ロバート・ホワイティング著)」に詳しいので、興味のある方はご一読ください。

 ピクニックは六本木交差点近くの俳優座横の路地にあった。比較的日本人でも入りやす
く、大盛りのサラダが人気商品だ。

 キー。キ、キ、キー。ドタ。
「Nさん、このZ、そろそろブレーキパッドやばくない?」
 金子が後部座席から身を乗りだして言う。
「僕もうすうすは、そう思ってたよ」
 板橋青年音楽隊の登場だ。
「さあ、サクサクっとオーダーして、サクサクっと食ったら、サクサクっと帰ろう」
 山下はべつに不機嫌なわけではない。この街の匂いを敏感に感じとっているのだ。自分
達のような青臭い若モノがウロチョロして、アンダーワールドの静寂をぶち壊してはいけ
ない事を。
 店の階段をのぼりながら村松が聞く。
「でもさあ、ほんとにサラダだけで腹いっぱいになるの?」
「なるさ。出てくればわかるよ」
 Nが答えた。村松以外の3人は何度かきている。
 店内は4人掛けのテーブルが5つと2階へ続く階段がある。
 奥の席では20代後半のカップルが顔を寄せあってひそひそと話をしている。
「いいなぁ、あーゆーの」
「なに言ってんの。金子だってかわいい彼女いるじゃん」
 と、入り口に近い席に座った山下。
「いらっしゃいませ。ご注文は?」
 ウエイターがオーダーを取りにくる。
「えーと、シュリンプとサーモンとハムとエッグを一つずつ。それと、アイスコーヒー2
つとコーラ2つ。以上です」
「かしこまりました」
 Nがみんなの注文を聞かずにすらすらとオーダーしてしまった。
「え〜!?」
 いっせいに非難の声。
「いいの、文句いわないの。いつもここに来るとさんざん迷ったあげく、あの4品を注文
してみんなでシェアしよう、って事に落ち着くんだから」
「う〜ん、たしかに」
 10分ほどしてオーダーしたサラダが運ばれてきた。
「うわぁ!ほんとにでかい」
「だからいったでしょ」
 村松がびっくりしたのも当然。ここのサラダはほんとにデカいのだ。
 直径24cm深さ18cmほどのガラス製のボールにちぎったレタスがたっぷり。それ
に食べやすい大きさに切ったキュウリ、ピーマン、ニンジン、セロリ、トマトがこれまた
どっさり。そしてトッピングの品が一かたまり。
 さらにここの売りは当時珍しかった醤油ベースのドレッシング。その頃のサラダの食べ
方といえば、マヨネーズをかけて食べるか、ただ酸っぱいだけの不味いフレンチドレッシ
ングというのが定番だった。
 バリバリ、シャキシャキ。
 ムシャムシャ。
 バリバリ、モグモグ、ごくん。
「あ〜うまいなぁ、これ」
「そうでしょ」
「べつにトッピングなんてなくてもいいね」
「やっぱ、醤油のドレッシングってサイコー」
「こんど作ってみようか」
「サラダってこんなに美味しいものだったんだね」
 サラダに夢中になってしまった板橋青年音楽隊であった。