第二章:第十一話



 毎週こんなセッション三昧な日々を送っていると、ときに時間を忘れ気がつけば真夜中にセッシ
ョンを終了することがある。
「お腹空いたねぇ」
 と鰐川。
「でも、こんな時間だと母屋に食い物探しにいくわけにもいかないし」
 Nが思案顔でいう。
 それはそうだろう。母屋がいくら広いといっても、家族が寝静まってる深夜だ。大型冷蔵庫を開け
てガサゴソやっていたら、けっこう家中に響く。心配になった両親が様子を見ようと2階から忍び足
で下りてくる時、階段から足を滑らせでもしたら大変だ。
「じゃあ、くり出すか」
 と山下の期待にみちた顔。
「どっち?」
「げとばし!」
 と武川と金子。
「えーと、今日は6人だから車2台いるなぁ。じゃあ、うちのZ出すよ」
 Nの家には3台の乗用車がある。ベンツと、日本を代表するスポーツカーの日産フェアレディZ、
そして軽乗用車のホンダZ。
「えっ、フェアレディ?」
「ちがう。ホンダの方」
 かくしてダウンタウンにくり出すことになった。時刻は深夜の12時半。

 1972年当時、日本にまだコンビニは進出していない。コンビニの日本上陸第1号は1974年、
東京江東区のセブンイレブン豊洲店だ。もちろん深夜のデリバリもない。繁華街以外で夜更けに
外食することはきわめて困難な時代だった。これは夜中に活動する人種にとって無視できない問
題だ。だから彼等は、深夜食事を提供できる店と、そのための移動手段を頭の中に刻み込んでお
くのが常だった。
 で、この6人組の場合、深夜の食事場をラッキーなことに2軒も確保していた。だから武川が「ど
っち?」と聞いてきたのだ。
 金子が即答した「げとばし」とは漢字で「下頭橋」と書く。板橋区常盤台の環七沿いの地名だ。こ
こに夜中でも(いや、夜中だからこそか)行列のできるラーメン屋があった。通称「げとばしラーメ
ン」。
 今でこそ立派な店構えになっているが、当時は環七沿いの広い空き地に屋台がぽつんとあるだ
けの店だった。屋号もない。そしてそこに廃品を集めてきたような椅子が10脚ほどおいてある。
「うひゃー。すごい人の数。こんな時間なのに」
 はじめてげとばしのラーメンを体験する村松はたまげてあたりを見まわした。
「そうでしょ。夜中に食事できるところって、この辺じゃここだけだからね」
 とNの解説。すると突然山下も説明を始める。
「うぉほん。ではこの店でのルールを伝授する。村松君、よく聞いておきたまえ」
「・・・・・」
「まず並ぶ。で、順番がきたら店の人に代金を払って割り箸をうけとる。割り箸をうけとったらもう並
んでなくていいからね。で、その辺でぼけーっとしてるうちに店の人が『ラーメン上がりー!』って言
うから、そしたらダッシュしてラーメンをゲット。そん時割り箸持ってないとラーメン渡してもらえない
からね、気をつけるように。ドゥ・ユー・アンダスタンド?」
「あっ、参考までに言っとくけど、注文で迷うことないよ。やってるのラーメンだけだから」
 なんとも合理的なシステムだ。
 1:客は常に並んで待っている。2:一度に茹でられる麺の量は10人前。3:メニューはラーメンの
み。
 この3つの条件が揃わなければこのシステムはなりたたない。客は必要以上に並んで待たなくて
すむし、店にとっても代金を払ったの払わないの、で揉めることもない。誰がよんだか、げとばしシ
ステム。
「はい、じゃあ並ぶ」
 つれそって列の最後尾に並びながら村松は屋台の横に置いてあるドラム缶の中をのぞいた。
「なんだぁ〜これ。スープかぁ?」
 ドラム缶の中は、丸のまんまの長ネギ、タマネギ、ニンジン、リンゴ、キャベツその他幾種類もの
野菜、それに卵の殻、わけのわからないもの・・・などが煮えたぎっている。げとばしラーメン特製の
スープだ。
「野良猫の死骸とか入ってたりして・・・うっ、考えなきゃよかった」
 代金を払って割り箸をうけとり待つうちにやがて「ラーメン上がりー!」の声が。
 Nがダッシュする。山下がダッシュする。武川がダッシュする。金子がダッシュする。鰐川がダッシ
ュする。村松がダッシュする・・・転んだ。