第二章:第二話



「もしもしNですけど、ひさしぶりです」
 仕事から帰ってきた村松に電話がかかってきた。
「わー、しばらくだねぇ、元気?」
「昼間も電話したんだけど、8時すぎないと帰ってこないって言われたもんで」
「そうなんだよ、いま勤め人だからさ、オレ。で、どうしたの」
「あのー、頼みがあるんですけど」
「うん、なに」
「前にバンドで使ってた機材って、まだ持ってますか」
「えーと、ボーカルアンプ以外だったらまだあるよ」
「じゃあ、エコーマシンは残ってるんですね」
「ある、ある」
「良かったぁ。・・・あのー貸して欲しいんですけど」
「えー?いいけど。いったい何に使うの?」
「じつは僕らのバンドで自主製作のレコード作ろうと思ってるんです」
「え〜〜〜!自主製作〜〜!レコード〜〜〜〜!」
 村松は心の底からびっくりした。なにしろこの時代にアマチュアのバンドが自分達でレ
コードを作るなんて話、聞いたこともないからだ。
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってよ。詳しく聞かせて」
「電話だとちょっと。話が長くなりそうだから」
 この頃の若者は、電話では長話をしないもんだ、くらいの常識はわきまえていた。
「じゃーさ、あさって仕事休みだから、エコーマシン持ってくよ。そん時話聞かせて」
「そうしてもらえると助かります」
「で、場所はあの大邸宅でいいの?」
「あっはっは、大邸宅ね。ちょっと改築しましたけど」
「オッケー。じゃ、あさってね」

 ・・・自主製作のレコードって何?・・・
 ・・・レコードって、レコード会社が作るもんじゃないの?・・・
 電話を切ったあと、村松の頭の中はぐるぐるまわっていた。
 ・・・自主製作っていうと、たしか・・・
 ・・・そうだ、帰ってきたヨッパライだ・・・
 ・・・ザ・フォーク・クルセダーズだったっけ・・・
 ・・・あれと一緒なんだ。すんごい事だぞ、こりゃ・・・
 村松が高校2年生の時に大ヒットしたあの曲を思い浮かべながら、彼の心は動揺と興奮
のるつぼであった。

 加藤和彦、北山修、はしだのりひこ、からなるザ・フォーク・クルセダーズが1967
年に世に放った「帰ってきたヨッパライ」は関西のラジオ深夜放送から火がつき、ついに
はNO1ヒットになってしまった。
 アマチュアの自主製作盤がメジャーメーカーをノックアウトした初めての出来事である。