「もしもしNですけど、ひさしぶりです」 仕事から帰ってきた村松に電話がかかってきた。 「わー、しばらくだねぇ、元気?」 「昼間も電話したんだけど、8時すぎないと帰ってこないって言われたもんで」 「そうなんだよ、いま勤め人だからさ、オレ。で、どうしたの」 「あのー、頼みがあるんですけど」 「うん、なに」 「前にバンドで使ってた機材って、まだ持ってますか」 「えーと、ボーカルアンプ以外だったらまだあるよ」 「じゃあ、エコーマシンは残ってるんですね」 「ある、ある」 「良かったぁ。・・・あのー貸して欲しいんですけど」 「えー?いいけど。いったい何に使うの?」 「じつは僕らのバンドで自主製作のレコード作ろうと思ってるんです」 「え〜〜〜!自主製作〜〜!レコード〜〜〜〜!」 村松は心の底からびっくりした。なにしろこの時代にアマチュアのバンドが自分達でレ コードを作るなんて話、聞いたこともないからだ。 「ちょ、ちょ、ちょっと待ってよ。詳しく聞かせて」 「電話だとちょっと。話が長くなりそうだから」 この頃の若者は、電話では長話をしないもんだ、くらいの常識はわきまえていた。 「じゃーさ、あさって仕事休みだから、エコーマシン持ってくよ。そん時話聞かせて」 「そうしてもらえると助かります」 「で、場所はあの大邸宅でいいの?」 「あっはっは、大邸宅ね。ちょっと改築しましたけど」 「オッケー。じゃ、あさってね」 ・・・自主製作のレコードって何?・・・ ・・・レコードって、レコード会社が作るもんじゃないの?・・・ 電話を切ったあと、村松の頭の中はぐるぐるまわっていた。 ・・・自主製作っていうと、たしか・・・ ・・・そうだ、帰ってきたヨッパライだ・・・ ・・・ザ・フォーク・クルセダーズだったっけ・・・ ・・・あれと一緒なんだ。すんごい事だぞ、こりゃ・・・ 村松が高校2年生の時に大ヒットしたあの曲を思い浮かべながら、彼の心は動揺と興奮 のるつぼであった。 加藤和彦、北山修、はしだのりひこ、からなるザ・フォーク・クルセダーズが1967 年に世に放った「帰ってきたヨッパライ」は関西のラジオ深夜放送から火がつき、ついに はNO1ヒットになってしまった。 アマチュアの自主製作盤がメジャーメーカーをノックアウトした初めての出来事である。 |