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サルでもわかる「西洋音楽史」

 先 日、旧友と食事をしたおり「最近、これ読んだんだけど、とってもおもしろかったよ。」と僕に差し出してくれた本があった。(写真真ん中「音楽の聴き方」)

 日頃、人様に「これ聴きなよ!」とか「これ読みなよ!」とおすすめする習慣をまったくもたない僕は、同じく人様に「これ聴きなよ!」とか「これ読みなよ!」とすすめられても、まったく馬耳東風である。だが、この友人の「これおもしろい!」であれば、話は別である

 そ の本は、未読だったのだが、その著者の名前には見覚えがあった。その時は思い出せなかったのだが、家に帰って本棚を見て思いだした。

 岡田暁生の「西洋音楽史」という本だった(写真左)。発見したとき「あっ、これ、めっちゃおもろいクラシックの本やったやん!ヒーハー!」とブラマヨの小杉君のような声をあげてしまった。

 そ うそう、もうかれこれ3、4年ほど前、一気読みした、目から鱗の「クラシックの歴史」について書かれた本の著者だったのである。

 著者「岡田暁生」氏は、この本でクラシックを「西洋芸術音楽は1000年以上の歴史をもつが、私たちが普段慣れ親しんでいるクラシックは、18世紀(バロック後期)から20世紀初頭までのたかだか200年間の音楽にすぎない」とし、「西洋音楽の歴史を川に譬えるなら、クラシック音楽はせいぜいその河口付近にすぎない。」「確かにクラシックの200年は、西洋音楽史という川が最も美しく壮大な風景を繰り広げてくれた時代、川幅が最も大きくなり、最も威容にみちた時代ではある。」「だが、この川はいったいどこからやってきたのか。そしてどこへ流れていくのか」と考察する。

 そ してその考察を行うにあたっては、

 「単に音楽史上の重要な人物名や作品の用語などを、時代順に洩れなく列挙したりすることは、私の意図するところではない」「ごく一般的な読者を想定して、可能な限り一気に読み通せる音楽史を目指し、専門用語などの細部には極力立ち入らない。」

 「そして何より、中世から現代に至る歴史を「私」という一人称で語ることを恐れない(多くの音楽史の本は「正しい」ことを「客観的に」語ろうとするあまり、結局ストーリーの推進力を失っているように、私には思える)」
と言う。

 続 けて彼は

 「ただ一つ、本書を通じて私が読者に伝えたいと思うのは、音楽を歴史的に聴く楽しみである。」

 「クラシックの世界」とは、「自分が好きな曲」「感動した曲」「よくわからない曲」「聴いてみたい曲」「あまり興味のない曲」などが、単にヴァイキング形式のレストランよろしくずらりと並べられている非歴史的な空間ではない。」
「このような音楽はどこから生まれてきたのか」
「それはいったいどんな問題を提起していたのか」
「こういう音楽を生み出した時代は、歴史の中のどの地点にあるのか」
「そこから何が生じたのか」
こういうことを考えることで、音楽を聴く歓びのまったく新しい次元が生まれてくる、そのことを伝ええたいのである」
と言う。

 そ の考察方針は少なくとも僕に大当たりだったようだ。確かに僕はこの本を「一気に読み通した」のだから。だがその考察方針のどこが、そうさせたのだろうか?

 彼 はそのあとがきでこう述べている。

 「この本の執筆で私が何よりこころがけたこと・・<中略>・・「私」という語り手の存在を中途半端に隠そうとしないこと。語り手の主観を隠蔽し、それでもって擬似実証科学的な客観を装うーこれこそ私が最もやりたくなかったことである。「○○○○年に誰々が何々をどこそこで作曲した」。これは正しいけれども、まだ無意味(ナンセンス)なのだ。「事実」に「意味」を与えるのは、結局のところ「私」の主観以外ではありえない。いい尽くされたことではあるが、「歴史を語る」とは常に私と歴史との対話である。」

 「 ドイツの音楽史家ハンス・ハインリッヒ・エッゲブレヒトがいっているように、「唯一の客観的な歴史(ザ・ヒストリー)」は存在しない。「歴史」とは常に「私から見た歴史」であり、「数ある可能な歴史のうちの一つ(ア・ヒストリー)以外ではありえない。」

 パチパチ!

 「 私自身は「歴史的教養」の喪失は人文科学の自殺行為に他ならないと考えている。浅学非才を承知のうえで、私があえて「音楽史を一人で書く」というドンキホーテ的蛮勇を奮う決意をするに至った最大の理由は、このあたりにある。」

 パチパチ!パチパチ!

 僕 が一気呵成に読まされたこの本の推進力は、まさにこの、作者自身を肌に、そばに感じられるところが大きい。まるで、食事しながら相手の友人がその場でしゃべっているかのような臨場感がある。だから退屈きわまりないものの代名詞のようなクラシック音楽史(しかも通史!)なのに、ワクワクし、ドキドキしっぱなしだったのだ。

 と ここまで書いていて、ふと親交のあったギタリスト「大村憲司」の映画評について僕が書いた文章を思い出した。

 彼は、音楽家、ギタリストとして比類なかったが、それは、彼がつねに「音楽とは何か」「音楽はどこからきたのか」「音楽はどこへいくのか」を考え続けていたからである。

 そ んな彼の映画評も、音楽同様目から鱗の素晴らしさだった。そんな彼の映画評を、夜毎僕だけが飲み屋で独占して聞くのは、あまりにももったいないと思い、映画評を書いてもらったことがある。以下はその宣伝文として書いたものである。

 「 ・・・・・・その彼の映画評からは、決して誰それのオッパイがきれいだとか、特撮がすばらしいとか、どこそこの景色が美しいとかの言葉は聞かれない。もちろん、不特定多数に向けたあたりさわりのない映画評でもない。逆に過激な思想を展開するのでもない。また、熱狂的映画マニアでもない。だから「いやー映画ってほんとうに素晴らしいですね」とはいわない。面白い映画もあれば、面白くない映画もある。音楽も同じだ。そして面白いか面白くないかの判断はあくまでも「観手」や「聴き手」の個人的なものであることを彼はよく知っている。だから、大村の映画評はあくまでも個人「大村憲司」のものである。

 小 説家がいてそれを評論する人がいる。一般的に評論家の方が一段低く見られる傾向がある。たまに自分の小説を辛辣に批判されて、「じゃー自分で書いて見ろ」という小説家がいるが、そうではないのだ。その小説を読んでどう思ったかというのはその人のものであり、それをどう表現しても許されるものなのだ。それだからこそ「評論」が文芸の一ジャンルとして成り立っている。古くは小林秀雄、新しくは江藤淳(新しくもないか)を持ち出すでもない。どの世代にも圧倒的に支持されている坂口安吾も、その小説より、むしろ『日本文化「私」観』に代表される、常に書かれている対象より書いている「私」の人生が読み手に伝わる評論によって、普遍的人気を得ているではないか。

 僕 らのまわりには、万人向けの映画「評」があまりにも多すぎる。それは映画評というより、映画解説風であり、どこか映画の宣伝風でもある。

 そろそろ個人の視点で書かれた映画評が読みたい、と思うのは僕だけだろうか?

 何 も、往年の「映画芸術」誌のような、むずかしい裏目読みなどはいらない。例えば大村のように、ギター一つですべてを語る事を「業」として選び、技を磨くために渡米して、その「深み」と格闘し、日本ではその「浅さ」と戦いながら48年間生きてきた「一ギタリスト」が感じたままの映画評には、そのまま彼の人生が投影されている。書き手の人生が見えるようなもの・・・それこそが本来の映画「評」ではないのだろうか。

 弾 き手の人生が聴こえてくるようなもの、それが「音楽」であるように。」

 1996年10月


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