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イアンとシルビア〜グラン・トリノそして大村憲司

 先 月渋谷のタワーレコード5Fのアメリカーナミュージック・コーナー(カントリーのコーナーではない)の試聴器に入っていた、年老いたカウボーイが表紙のCD(写真左)・・・ううう、なんというしゃがれた声、でもとてつもなく優しく胸に沁みる声にウットリ・・しながらキャプションを読んでいたら、なんと「イアンとシルヴィア」のイアン・タイソンの最新作だった。そっか、もうこんなにおじいちゃんなんだね。でも老いたカウボーイ(イアンは本物のカウボーイである)ほどカッコいい男もいない。

 僕 の好きなミュージシャンにはカナダ人が多い。”なんでそんなにカナダ人?”についてはもう何度も書いてきたので今回はパスです。

 ザ・バンド、ニール・ヤング、エイモス・ギャレット、ジョニ・ミッチェル、ホリー・コール、シャナイア・トゥェイン、ニーコ・ケース、ナタリー・マクマスター、フェローン、ネリー・ファータド、ジェシ・ウィンチェスター、ゴードン・ライトフット、トニー・コジネク、ブルース・コバーン、レナード・コーエン、ヘイデン、ルーファス・ウェィンライト、ロン・セクススミス、K・D・ラング、サラ・マクラクラン、ジェーン・シベリー、カウボーイ・ジャンキーズ、ブルー・ロディオ・・・・まだまだいっぱい!

 こ  れらカナダ人ミュージシャンの中に1960年代からウッドストック系のミュージシャンとして素晴らしい夫婦フォークデュオを聴かせていた「イアンとシルビア」がいた。その後、二人は離婚し、それぞれソロ活動に移る。で、今回初めて、僕は彼のソロアルバムを購入したわけだが、それがなんとイアン(1933年生まれ)76才のこの作品だったというわけだ。

 で もそれが良かったのかもしれない。淡々と歌われるカウボーイソングなのに、これほどしみじみ胸に降りてくる歌声もめったにあるまい。僕はもともと、しゃがれた声、なさけない声、塩辛ボイスに滅法弱いのだが、ここまで熟成が進んだイアンの歌声は間違いなくベストオブ塩辛、ヴィンテージものの塩辛である!(だって塩辛なのに甘いんだもん)

 そ してイアンの声を聴いたとき、ついこの間観た映画「グラン・トリノ」(すでにロードショウは終っていたので、朝一回だけ上映している新宿の映画館で観た)のエンドロールで流れるクリント・イーストウッドの歌を思い出した。

 な んとも地獄の底から絞り出されたかのような老人の歌声、だがこれ以上ないくらい痛々しいしゃがれた歌声が聴こえてきた瞬間、胸が潰れた・・・衝撃的なラストシーンでは涙が出なかったのに(もっともあっけにとられてしまったからだが)、エンディングでこのクリントの歌う「グラン・トリノ」を聴いた瞬間ボワァッと涙がこぼれた。

 ク リント・イーストウッド(1930年生まれの79才)演じる主人公「ウォルト・コワルスキー」(ウォルトはアイルランドの出自を想起させ、コワルスキーはポーランドの出自を連想させる)は朝鮮戦争の生き残り。フォードで働いた後もデトロイトに居残り、街にあふれるアジア人には露骨な人種偏見で接し、妻を亡くしたあとは子供や孫たちともまったくうまくいかないなんとも頑固一徹の偏屈な老人である。

 そ  そんな彼の唯一の宝物はフォードの名車「グラン・トリノ」。そのメンテのためのガレージには、車工だった(多分)時代のあらゆる工具と一丁のライフルが備えられえている。そのガレージへ親戚から車を盗めとおどされいやいや盗みに入ったラオス少数民族の少年との出会いとその家族との交流からじょじょに偏見を解き放ち、最後は自らを犠牲にしたまさに用意周到な計画によりアジア人の家族を完璧に守りきる。

 主 人公『ウォルト』は朝鮮戦争で仲間が全滅した戦いの唯一の生き残りである(主人公の口からそう語られる)。それだけ用意周到な性格だったのだろう、誠に鮮やかなドンデン返しのエンディングを用意してくれるが、映画の中で何度か彼が喀血するシーンがあるので、おそらく肺ガン(彼は何度もライターでタバコに火をつけ何ともうまそうに吸う。またそのライターがラストで重要な役を荷なう小道具になっている)に侵されていて死期が近いことが暗示されている。おそらくこれも戦場で得た「どうせ死ぬのなら味方のために死ぬ。最大限に戦友を残す死に方を選択する」教訓から来ているのだろう。

 ク リント・イーストウッドの先祖はイギリスからメイフラワー号で渡ってきた一族らしい。そして彼自身が朝鮮戦争の生き残りである。

 おそらく敬虔なプロテスタントの一族で育ったのだろうが戦争を体験した彼は神の存在、不存在をこれっぽちも問うていない。神がいようがいまいが、戦場だろうが、街の中だろうが、人は人のために生き、人のために死ぬ、それだけのことですが、何か?とでも言いたげである。

 エ  エンディングでは、アジア人の少年(彼とそのお姉さん役の子が実にいい味わいでかわいいデス!)がウォルトから遺贈された“グラン・トリノ”で海沿いをドライブするが、別に車産業の中心はアメリカからアジアに移動したと言いたいわけではないだろう。むしろこれからの平和の担い手は、好戦的なアメリカ人種から本来は友好的なアジア人種に・・・別の言い方をすれば、キリスト教のような一元論的正義から仏教のような多元論的救済に託されたといいたいのではないだろうか。それを象徴するかのように映画のラストシーンでウォルトは「大の字になって」ではなく、「十の字になって」弊れる。

 そこにかぶさるクリントの鬼気迫る歌声に心が震えた。なおこの映画の音楽は、ミュージシャンになりたかったクリントの夢をついでミュージシャンになった息子「カイル・イーストウッド」が担当している。

 ク リントとイアン、この二人の年老いた素晴らしい音楽を聴きながら、ふと我が師「大村憲司」 のことを思った。

 彼が亡くなってすでに10年が経過した。生きていれば60才である。彼が亡くなった時、大村を尊敬していたN口さんが編集長をつとめていた「ギターマガジン」が追悼号を編んでくれた。たくさんの人が大村の人柄とそのギターワークについてコメントを寄せていたが、たった一人だけ「憲司の歌がどんどんよくなりつつあった矢先だったから、この後、もう憲司の歌が聴けないことが一番残念なんだよ」とコメントしたミュージシャンがいた。

 実  村の盟友(というよりほぼ血族であろう)ドラマー「村上ポンタ秀一」氏である。なるほど、大村の傍らで日本のミュージックシーンをつぶさに見つめ、そして日頃から「歌を聴かないドラマーはクソだ」と言ってはばからない彼らしいコメントだ。

 ク クリントやイアンより周回遅れではあるが、まだまだ日本にもこれから熟成していくであろう素晴らしいミュージシャンが残っている。大村は亡くなってしまったが、年老いた彼らのしゃがれた塩辛ボイスな歌声を是非聴いてみたいものである。

 細野さん、早く70才になんないかなぁ・・・ 。


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