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ニパキ(アンソニー・パーキンス)の息子「エルパキ」(エルヴィス・パーキンス)のファースト「Ash Wednesday(灰の水曜日)」が届く。
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、なんと国内盤が発売されている!でも前々回のコラムにコメントしたセカンドアルバム「DearlanD」の国内盤は出てないようだから、きっとこのファースト、全然売れなかったんだろうな・・・ていうかそもそも何故国内盤が発売になったんだろう?そっちのほうが不思議・・アメリカでだってそんなに売れてないだろうに。それとも日米ともに父「アンソニー・パーキンス」の名前に「ひょっとして」の期待をこめたのだろうか。
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のライナーノーツ(赤尾美香さん執筆)を読んでいたら、前々回のコラム「 "トニパキ "の息子・・・」には間違った記述があったことに気づいた。
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は、ファーストアルバムは、母親の悲報を受けてから制作にとりかかり、完成に4年を要した、と書いたが、違っていた。彼はファーストアルバムの制作途中で、” 9.11"の報に接したのだった。ちょうど6曲を取り終えたところだったらしい。エイズで亡くなった父の命日の前日に今度は母を亡くす。しかも世界貿易センタービルに激突したアメリカン航空機11便の犠牲者の一人として。音楽制作はそれから1年間中断され、再開されてからさらに完成までに4年を要した、というのが正しい記述でした。ゴメンナサイ。
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私なんかには想像もつかないような人生を送っている人がいる。人は何かしらの荷物を背負っているものだけれど、その荷物の大きさや重さたるや計り知れない人がいる。ニューヨーク生まれのシンガー・ソングライター、エルヴィス・パーキンスは、私にとってそんな人の一人だ。
エルヴィスは、本作『アッシュ・ウェンズディ』のタイトル・トラックである7曲目“アッシュ・ウェンズディ”を境に、この作品がふたつのパートに分かれていることを明言している。“アッシュ・ウェンズディ”の前と後。それは過ぎ去った日々の出来事と無縁ではない。“ (2007 赤尾美香)
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ッシュ・ウェンズディ、日本語で「灰の水曜日」は、「レント」(キリストの荒野での受難にちなみ、40日間キリストの苦しみを思うキリスト教の行事)の始まりの日・・・まさにエルヴィスの母“ベリー”は、2001年9月11日、NYの空中で一瞬にして灰となってこの世から消えた。
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かにこのアルバムは7曲目の「Ash Wednesday 」を分水嶺とし、後半には、静かだが強い祈りの歌が続く。ことさらに前半の6曲と曲調が変わっているわけでもないのに、なぜか底を流れる音楽がこちらの琴線に強く訴えてくる。それは怒りでも、悲しみでもない、日本語でいうところの無常観のようなものだろうか。一旦がっくり膝を地につけた「エルヴィス」が4年以上の歳月をかけて遺体なき母の死と折り合いをつけるまでの心の軌跡が音楽として静かに表現されている。
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能は英語では「talent」だが、もう一つ「gift」という言葉もある。何故「ギフト」(贈り物)が「才能」の意になるのかと言えば、この世には時として神に「才能」を「贈られた」としか思えない、とてつもない才能が出現するからである。
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が、たいていの場合、神に才能を「贈られた」人には、神はこれまた気まぐれとしか思えないほどの大きな艱難や試練を与えるものである。まるで「私がおまえに贈ったその才能を最大限に使わなければその試練は、超えられないよ、そのためにお前に才能をプレゼントしてあるのだから、ふふふ」と言わんばかりに。
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しづめ、父アンソニーにエルヴィスという名を贈られ、音楽家になるべくしてなった彼は、その才能の極限を神に試されているかのようだ。
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かな叫びで開始される7曲目「灰の水曜日」で始まる後半は11曲目「Good Friday」(善き金曜日)で締めくくられる。「金曜日」とはキリストが十字架にかけられた日のことだ。なぜその金曜日が「善き」なのか?最初はこれは「God’s Friday」(神の金曜日)だったらしい。
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が、キリストが刑死したことにより人々の罪が購われたのだから、人々にとっては「善き金曜日」・・・
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Good Friday」
父親たちの時間を
僕たちが無駄にしてはいけない
貯蔵された彼らの悲しいワインを
僕たちがこぼしてはいけないんだ
人生は
灰の水曜日だけど
灰の水曜日なんだ
それは永遠に
聖金曜日に近づく
この歌の中では
誰も君を傷つけることはできない
ここは僕たちにとって安全な場所
夜は長いから
それは震える
聖金曜日を目前にして
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は7曲目から11曲目までをワンセットにし、繰り返し聴いている。
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