前のページへ 次のページへ 「エートス」こいて、もぉ〜!トップへ Net-Sproutトップへ
我が名はバディ



 先 月末、軽井沢に行った。

 わずか2泊の旅だったが、初日の土曜日「エンボカ」というおいしいピザ屋さんに配偶者と、お友達ご夫妻(軽井沢在住)と共にお邪魔し、いろいろな話しをした。そのとき友人の奥様が、ライ・クーダーの最新盤「マイ・ネーム・イズ・バディ」の翻訳をしたと聞いて、そういえば、まだ購入していないことを思い出した。

 「あ〜っ!それまだ買ってない!」
 「え〜っ!じゃぁ、サンプル盤があるからあげる!」

ということになり、思いがけずCDをゲットすることに。
 帰 りは配偶者よりひと足早く一人で車で帰ることになっていたので、車中で早速CDをセットする。関越自動車道が結構混んでいたので東京まで3時間ほどの行程。結局3回まわしでこのCDを聴くこととなる!「お〜、これは、すっ、すげぇ!」「聴けば聴くほど、どんどんよくなる、法華の太鼓だわ、こりゃ!」

 何がすごいって、ほぼ全編にわたって、ライのボーカルがフィーチャーされているのである。そして、その歌が、なんとも素晴らしいのだ。「ライってこんなに歌がよかったっけ?」である。そして、これまた、ほぼ全曲が彼の作詞・作曲なのである。「ライって、そんなに自分で曲書いてたっけ?」である。そしてその楽曲がなんとも滋味に溢れていて素晴らしいのだ!
 ラ イの初期のソロアルバムのうちでは、僕は「紫の峡谷」(1972年)がとりわけ好きなのだが、このアルバムできかれるウッデイ・ガスリーワールドが、35年の歳月を経て、再び還ってきた。しかも圧倒的に素晴らしい内容を伴って。

 ライ・クーダー・・・60年代は早熟のスゴ腕セッション・ギタリストとして、70年代はソロアーティストとして活躍していたが、80年代から、音楽のグレイト・ジャーニーに旅立ってしまった。ハワイに行き、沖縄に飛び、キューバに遊び、行く先々の音楽を取り込んだ素晴らしいアルバムを届けてくれた。映画「パリ・テキサス」や「ブエナ・ビスタ・ソシャル・クラブ」が有名だから、ライ・クーダーといえば、今では、サントラ作家や、世界中の埋もれた名曲を蘇らせる名人としてののイメージの方が強いかも知れない。

 だが、長い旅から帰還した彼は突然、また歌い出したのである。しかも自分の曲で!
 ア ルバムは、赤猫のバディ、左翼ネズミのレフティ、それに蛙の牧師トムの三人がアメリカ中南部を旅して様々な経験を味わう、という寓話的なストーリー仕立てになっていて、各楽曲にライの作った物語がふされている。

 僕はこのアルバムを勝手に3つにわけて聴いている。「チーフタンズ」のパディ・モローニの吹くホイッスルが印象的な、さすらいのホーボーソング「SUIT CASE IN MY HAND」からボビー・キングとテリー・エバンスがボーカルをとり、ライとジム・ケルトナーがサポートする「SUNDOWN TOWN」までの6曲を第1部、少しジャズっぽい曲調の「GREEN DOG」からライのギター、ベースとジム二人による多重録音による「THREE CHODES AND THE TRUTH」までの6曲が第2部、そしてライのギター、ベース、マンドラ、キーボードと息子のヨアヒムのドラムによるカッコいい表題曲「MY NEME IS BUDDY」からラストまでの5曲が第3部である。実はこのアルバム、ラストに近づけば近づくほど、感動の度合いが増していく。特にラス前のバラード「FARM GIRL」を聴くあたりでは、なぜか涙腺が緩み、ラストの感動的でドラマチックな名曲「THERE'S A BRIGHT SIDE SOMEWHERE」ではいつも「涙滂沱としてやまず」状態になってしまう。
 僕 は時間があるときは、もちろん1曲目から聴き始めるけど、あまり時間がないときは第3部から、もっと無いときは、否、手っ取り早く「泣きたい」ときは、ラス前の「FARM GIRL」とオーラスの「THERE'S A BRIGHT SIDE SOMEWHERE」を聴いて涙する。

 とくに最後の2曲におけるライの歌は尋常ではない。と言ってもまったく力むわけでもなく、むしろ訥々とシンプルで素朴な歌なのに、いや、だからこそか、訴求力が強いので、心の奥を「そっと鷲づかみにされる」(形容矛盾だけどそうなの)である。

 ラス前の「FARM GIRL」・・・・ライの艶やかなギターで始まる絶品のバラード!爽やかな風のような飄々とした風情のライのボーカルはカラリとしているのに、なぜかとびっきり乾いた哀しみを聴く者の心に送り込む。
 盟 友バン・ダイク・パークスのピアノで幕をあけるラスト曲「THERE'S A BRIGHT SIDE SOMEWHERE」は、ライの旅のお供ジム・ケルトナーのシンプルだが誠に力強いドラム、メキシコの至宝フラーコ・ヒメネスの豊饒だけど哀しみを湛えるアコーディオン、そしてライの滴り落ちるようなスライドギター、遠く聞えるパディ・モローニのホイッスルを背景に浮かびあがるライの静かな歌声が感動を呼ぶ。世界中を旅してきたライが最後に言うのは

 どこかに素晴らしい場所がある
 どこかに素晴らしい場所がある
 それが見つかるまで おれは休まない
 どこかに素晴らしい場所がある

 どこかにもっと愛にあふれる場所がある
 どこかにもっと平和にあふれる場所がある
 それが見つかるまで おれは休まない
 どこかに素晴らしい場所がある

 つまり、世界をあちこち旅してみたけど、そんな場所はどこにもなかったということだ。 だが、彼は信じているのだろう。まだまだ探し切ってはいないということを・・だから最後は

 いい仕事を持った人たちがいる場所
 大勢の良き友に囲まれた人たちのいる場所
 小さなスーツケースを持って 小さな家族を連れて
 その素晴らしい場所へ行ってみよう (翻訳は木村麗子氏)

 と希望をもってアルバムを締めくくる。
 ラ イのアイドルはウッディ・ガスリーである。フォークソングやプロテストソングの生みの親である彼は、オクラホマの大砂塵のもたらした災難をこれは人災であると歌にした。戦前のことである。

 ライは何故そんな彼の歌に小さいころから惹かれたのだろう?彼はその疑問への答えを見つけようとして音楽の旅に出たのではないだろうか?
 音 楽はあくまで手段でしかない。その音楽家が、その音楽で表現せざるをえなかった様々な気持ち、そのよってきたる当のものが、全く時代も地域も言語も文化も違う他人のこころのどこかに点火することがある。それが音楽の特徴だ。僕は音楽を音楽として聴いたことがない・・・というより音楽家ではないから譜面も読めないし、ギターも弾けない、英語も堪能ではないから、何を歌っているかがわかるわけではない。でも音楽を聴くことを好むのは、僕のどこかに眠っている「何か」に点火されることを望んでいるからなのだろう。それが何であるかは、点火されて初めてわかるものである。幼いライのこころの「何か」に、ウッディ・ガスリーの歌の「何か」が点火したのである。その「何か」を探す旅・・それがライの旅の根源のように思う。
 歌 詞の意味もわからないのになぜか涙がでることがある。その意味を知りたいと思い、自分が自分あてに文章を書く。書いたあと、「ふーん、そういことなのか」と納得するために。

   このところ、僕の心に点火するのはアメリカ人の音楽、とくに2001年以降のものが多い。やはり9.11と「カトリーナ台風」がアメリカ人のこころの何かに点火したのであろう。それは一体『何」なのか?・・・もっとも鋭敏な感覚を持っているアメリカのミュージシャンたちは、それを無意識の内にもに探ろうと、知らず知らず、表現が深くなりつつあるのではないだろうか・・だが、実のところ、それが何かなんて、本当は誰もわからないことはないこともホントはわかっている。そんな気がする。
 今 年60才、還暦(といってもアメリカ人の彼にはなんのこっちゃわからないだろうけど)を迎えたライ・クーダーは、天才ギタリストから、とてつもなく偉大なシンガー・ソングライター・ギタリスト・ベーシスト・マンドリンプレイヤーになって還ってきたのである。

 そういえば、今日は9月11日ではないかいな!

前のページへ 次のページへ 「エートス」こいて、もぉ〜!トップへ Net-Sproutトップへ